深夜の帰宅になる我々塾のお仕事でも、薄手の上着を羽織れば何の苦も無く自転車に乗って帰れるこの季節。
本当に待っていました(笑)
洗濯物を回すにも、1か月前とは同じ枚数が入っていても生地の厚さが違い、億劫だった干す作業にも少しフットワークが軽くなります。
スウェットやらフリースが洗濯物に入っていると、洗濯機自体もなかなか良いパフォーマンスをしてくれず、途中でピピピピピピピピと停止音が鳴って止まったり、エラーが出たり。
そんなイライラが少しは、やわらぎそうですね。
余談ですが、今は当たり前となったユニクロが火付け役のフリースですが、洗えば洗うほど着心地も保温力も落ちていきますよね。
それはフリースを構成する微細な化学繊維が、洗濯をするたびに2000本程度抜け流れていってしまっているそうです。
それが生活排水として流れ、自然界にマイナスの影響を与えているようです。
人間にとっての楽の部分が、実際には自然界への影響をもたらし、その対策が後回しになっている例の一つですね。
話はそれましたが、今日はノートの取り方や授業の受け方について。
新年度が始まり、3週目を迎えました。
新学年がスタートして、張っていた気も少しずつ少しずつ緩み始めたのか、体調を崩す生徒がちらほらと出始めてきました。
中学生になってやる気に満ち溢れ、どんどん自習に来る中1たちの動きに目を細めると同時に、「中2は大丈夫かね・・・」と言いたくなるよな動きにとどまる先輩に、少し不安を感じたりなんかして・・・
さて小学生の時はそれほどでもなかったノートの活用が、中学生になるとどの教科でもノートをとることが当たり前になってきます。
だからこそ、小学生のうちに少しずつノートをとることに意識を向けられるように授業でも働きかけをするのですが、ノートをとることの一番の肝は何か。
いちに板書。
にに強調。
そして、さんに興味・関心。
「いち」に関しては、正直作業でできてしまいますよね。
黒板や白板に書かれていることをそのまま書き写す。
「に」の「強調」は板書で色分けして書かれたことに意識を向け「大事な言葉」なんだと認識しながらノートに書き留める。
「さん」がなかなか難しい。
授業への参加の度合いがものすごく顕著に出るのがこの部分です。
こういう部分に高い精度を持つのが中3でいうところの選抜クラス。
「まずは聞く」のスタンスをしっかり持っているので、書き取る時間も我々がコントロールしやすいように、「聞く」のつぎに「書く」という動作を入れてきます。
そして「聞く」から「書く」へ移りながら、そのとき頭の中でプチ復習をしているわけです。
これが小学生となると、どちらかしかできないことがほとんど。
でも今年の小6は小5の時からノートに「興味」「関心」を書き留めることを意識させることができてきたからか、かなりその部分については上手です。
先日の授業でも、「分数の割り算」のタイミングで、様々な聞きなれない言葉を使って考える手順や思考の整頓をさせました。
ただ「聞きなれない」なので、その言葉の説明も。
するとそれを聞いたあとに、自分でまとめるようにそれらのコトバをノートに書き留めていきます。
「抽象化」「具体化」「一般化」「単位分数」「繁分数」・・・
そして、それらの言葉を書き留め整頓している仲間を横目で見ながら、新しいメンバーたちが、「そうやって学ぶわけね~」と真似をしていきます。
彼ら彼女らは問題を解くために必要な「解法」だけでなく、自分の興味をひくものや、自分の知識の深みになるものを選び取り入れているわけです。
まあ次の授業になったら、忘れてしまっていることもたくさんあるでしょう。
それでも何度もそういう言葉を仕入れることで、人間的な深みや知性へとそれらの知識を昇華させていくことでしょう。
中学生になると課されることもある「ノート提出」。
ただ評価を得るための手段ではなく、自らを高めるための手段でなければいけません。
自らを高め育てるようになれなければ、今の日本ではやっていけません。
誰でもできる仕事に、決して高い賃金は払ってもらえません。
つきなみな言い方ですが、AIでもできる仕事の価値は今後間違いなく下がっていきます。
大げさでなく、自分の行う動きや作業一つ一つが自身のスキルや思考の取り方へとつながっていくのです。
提出のためのきれいなノート(羊頭)も、自分自身がしっかり活用しようと思えば活かされますが、そうでなければただの綺麗でも”価値のない”ノート(狗肉)です。
少しの意識があなたを変えるのです。
意識するだけなら、だれでもできます。
やってみてはいかがかしら?
では![]()