先週の土曜日、教室の2Fで中3が判定テストをスタートさせた頃、1Fには現在高校2年生の9期卒塾生が相談があると顔を出してくれました。


ちょうど塾説明を受けたいと言うご夫婦も同タイミングでいらしていたので、1時間ほど待たせてしまっていました。


ご夫婦への塾説明のあと、そのご夫婦も彼女に丁寧に「ごめんね待たせちゃって。」とご挨拶して下さりウィルを後にされました。


そんな彼女の相談は案の定というか、高2あるあるの進路のお話。


「学校では世界史で1番を取ったが、英語が…科目で考えると◯◯大学とか…」最初はそんな感じでした。


「いやいや、結局自分の好きなことは何なのさ?科目の種類や数で大学絞るのは、もう少し先にしよう。」


色々話はしていましたが、先々の就職のことや文系理系など、変に自分の好きでないことや不得手なものを無理に選択する必要はなくて、やりたい事でしっかり勝負しなさい。って話で進路については終えました。


「もう1つあって…」

こっちが本題なんでしょうね。


「学校の友達と話しをすると、みんな『将来はこういうことがしたい!』ってしっかりしたものがあるんですが、私は自分でそういうのを決められなくって…」


いつも人に決めてもらっていて、自分では決められないことにちょっと嫌悪感という情けなさを感じているようでした。


でも僕から見たら、さっきまでの進路の話の内容にしても学部の方向性にしても、自分の好きなことを持っていてそれを活き活きと話せる事自体素晴らしいこと。


ただそれを先々自活していくものに出来るとは考えていなかったので、「自分では決められない。何も自分にはない。」そう考えていたようです。


大人になると「好き」があっても、それを叶えるために動き出す事にかなりのパワーが必要になりますし、妥協をしがちです。


でも高校生や大学生を含めた若い人たちは、その「好き」を具現化するために“今”動ける特権を持っています。


逆に言えばここを逃すと、どんどん妥協の強度が強くなっていきます。


そして彼女の「自分で決められない」という事について。


自分がすること、希望することをゼロから完成形まで作り上げることは「自分ひとり」では間違いなくできません。

周りにいる人間や環境の影響を受けながら、人は価値観の構成をしていきます。


その時点で自分以外のヒトの力が及んでいます。


そして君には相談したり、刺激を受けることのできる仲間や僕達がいます。

その結果を受けて、最後だけ「じゃあやってみるかな!」と立ち上がり、針を進めれば良いんです。


それが「自分で決める」という事なんだよ。



最後に彼女が言っていました。
「私ウィルには戻って来なきゃいけないので!」

良い前提条件です笑


お待ちしてます。



ではおばけ