本日は、出勤前に娘の公開授業を見に行ってきました。

 

ベテランの男性の先生ですが、なかなかルールの設定が独特で厳しそうでしたね。

 

自分の意図が伝わりやすい様にクラスを取りまとめているのは、

ベテランの先生らしく流石でした。

 

 

さてさて授業を聞いているとお母さんに抱きかかえられた赤ちゃんのぐずる声。

飽きてしまった未就学児の「帰ろうよアピール」する声。

 

まあそんなものは子育てを経験している親ならば、

「しょうがないね」と済まされることです。

 

 

ただ、以前にも書いたことがあるかもしれませんが、

親の話声。

 

これは如何ともしがたい。

 

 

流石に教室内で大きな声で話すひとはいませんが、一生懸命に授業を受ける教室の目の前の廊下で、でっかな声での世間話。

 

それが教室にまで入ってきて、声の小さな生徒の発言何て先生まで届きません。

 

「何しに来てんだよ」ってなりますよね。

 

 

世間話・世話話・馬鹿話がしたいなら、是非声を大きく出しても迷惑にならない場所で。

 

 

公開授業は、学校側が安心して子供を預けられるところなのかを確認する、保護者に向けてのイベント。

 

親もどんな先生で、どんな学校の様子で、自分の子だけでなくまわりの友達も含めた環境を、自分の目で見てくるわけです。

 

そこで先生とのコミュニケーションをとる場にもなりますし、わが子が成長している様子も見られるわけです。

 

 

そこで上記のような状態でいられたら、子どもたちにとっても親にとてもただただ迷惑です。

 

 

そして、その姿はそのまま鏡として子に映るのです。

 

 

 

以前、二者面談のときにガムを噛みながらいらっしゃった保護者の方がおられました。

 

出し忘れただけかとも思いましたが、悪びれる様子もなくクチャクチャクチャクチャ・・・

 

 

そのご家庭のお子さんをお預かりするわけですから、お母さんのそういうところを変えるよりも、その子を変えることに力を注ぐわけです。

 

相当な時間がかかりましたが、その生徒が変わっていって、自分の姿を気にしながら、自分のために頑張れる子に育っていきました。

 

 

実際には、もっと時間を割くべきことがあるだろうに、そこに時間をかけて、手間をかけて、労力をかけて。

 

それでやっと変わっていくのです。

 

 

僕も他人ごとではありませんが、一度自分の振りを見直してみる必要がありますよ。

 

それが「あたり前の基準」の礎になるのですから。