今日の中3選抜数学はちょっと重い内容。


導出していくとポツポツと「うぉすげぇ。」「まじか、確かに。」という声が上がってきます。


まあ完全理解を求める事項でもないので、これからの学習について
「こういうレベルで数学を考えねばならない。」
ということを指し示すものとして取り扱いました。


とは言え「なんだこれ?なんだこれ?」がみんなの頭の中をグルグルと回っていたのは間違いないので、フォローというよりは叱咤激励のコトバをかけたわけです。


「甘えるんじゃない、甘えるのはもう少し先。」
「どこまでいけるか自分で試せ。」
「ここにいるということにプライドを持て。」



となると、授業の内容とかけたコトバに小さな火種を持った生徒が動き出すわけです。


でもまだまだどう頑張っていいのかもわからず、指示されたこともどこまでの精度でやればいいのかも、まだまだ考えが甘い状態。


だから「やばいんすよ」って言葉しか出てこないわけです。


ここで「何がやばいの?」って聞いて話を掘り下げるのが大人なのかもしれないですが…


すいません。僕はそんなことしないです。


もちろん窮地に追い込まれた生徒にはそうしますよ。
実際土曜日にそういう話し方をした生徒もいますしね。


でもここで『小さな火種を持った生徒』=『ポジティブに受け取った生徒』に対して、
そんなこと言ってもあんまり価値は高くなくて、
「そっか、この人と話したらおもしれぇぞ」って思ってもらうことのほうがずっと大事なんですよ。


だってこれから一緒に1年間戦っていくわけですし。


今日は「確かにオレこんな感じだな…」を知らせてあげることをネタにしました。


まあすると面白がって、「明日もお願いします(笑)」とか言って帰っていくわけです。


それで周りで聞き耳を立てていた同級生たちも、
「俺は?」「私は?」「なになに?どういうこと?」
って聞きたくてしょうがない様子。


火種を炎にすることが僕の役割です。


いくら素晴らしい授業をしたって、受け止める側が育っていかないと価値は頭打ちになります。

それを基準を作って統制することで作り出すこともいいでしょう。


そんなものだと言ってしまうのも一つでしょう。


でも初めて受験を経験する子供たちにとっては、もっといえばウィルの生徒にはそのどちらでもないと思うんです。


どこかで生まれた火種をいろんなところに移していくことこそが、「伝統」や「あたり前」を作り出していくのです。


今日の様子を見ていて再確認しましたが、今年もいきますよ。


歴代の卒塾生たちの伝統を継承して、9期生たちもやってくれますよ。



ワクワクしながら寝るとします!