感情は湧き上がってきてしまうもの。

 

その湧き上がり方、湧き上がる量、勢いに個人差はありながらも、湧き上がること自体をコントロールすることはできないものです。

 

ゆえに、湧き上がってきた感情をどうコントロールするか

 

感情に抗えなければ人間とは言えません。感情のままに動くようなら、動物と変わりありません。感情に抗う理性を育てること。これが教育の原点です。

 

とはいえ、子どもは、幼ければ幼いほどに、感情に抗うことが難しいものです。ですから、放っておけば、より楽な方へ、楽しい方へと流れていきます。

 

よって、親が代わりとなって子どもの欲望に抗ってあげなければなりません。そりゃあ自分の思うどおりに行かなければ泣き喚くでしょう。不貞腐れるでしょう。暴れるかもしれません。

 

でも、親が負けたら終わりです。他の誰も助けることができないのです。

 

例えば、

「本を読む」よりも「絵本を読む」

「絵本を読む」よりも「漫画を読む」

「漫画を読む」よりも「テレビを観る」

「テレビを観る」よりも「ショート動画を観る」

 

左よりも、右の方が楽です。ですから大抵の場合、子どもは左よりも右に流れます。でも、楽ということは流されているということでもあります。右に慣れてしまえば左に行くことは、大人であれば面倒に、子どもであれば困難に感じることでしょう。

 

そもそも、なぜ左の方が楽なのか。それはそこに主体性がいらなくなるからです。相手があの手この手で楽しませてくれる、面倒なことをやってくれるので、何にも考えることなく、受動的でいられる。文句だけ言って、嫌ならチャンネルを替えればいいだけです。

 

主体性は育てていくものです。放っておいて育ちません。育てる方法は一般的に、

・自分で考えて、判断して、決める機会を増やす

・その決めたことに、成功しても失敗しても、最後までやり遂げる経験を積ませる

・そこから何を学んだのか、次はどうすればもっと良くなるのか、フィードバックを与える

 

そして、そのために、

①  自分の考えに真剣に向き合ってくれる環境。

②  自分の存在が尊重されている環境。

③  成功失敗にかかわりなく、挑戦を評価してくれる環境。

④  失敗をポジティブなものと捉えてくれる環境。

が必要です。

 

とりわけ幼少期にこれができるのは親だけです。

 

そして主体性が育っていなければ、後々、学力も育っていきません。この場合の学力とはテストの点数のことではないです。

 

テストの点数だけならば、無理矢理やらせればある程度までならいけます。点数だけとらせればいいのなら、学力を育てなくていいのなら、むしろ主体性はない方がいい。

 

何周も何周もやらて、書かて、解かて、できるまで終わらなければいいのですから。

 

でも、目的はテストの点数ではないはずです。

テストの点数結果として取れる、文字どおりの学ぶ力、聞いて受け取れる力読んで受け取れる力問題を見つける力問題を修正する力を柱とする「自分を育てる力」を育むことではないでしょうか。

 

自分が自分の人生の主人公だという覚悟、主体である認識がないのに、自分を努力して育てようなんてしませんし、できません。

 

がんばりましょう、親として。小4からだとわずか4年でいいんです。主体性が育てば、それから先はもう任せるだけで良くなるのです。踏ん張りましょう。

 

そりゃあできれば、我が子には笑っていて欲しい。喧嘩なんてしたくない。でも、踏ん張らないと。わかってもらえなくても、粘り強く説明していきましょう。

 

学力は翼。大きな翼があれば、より高く、より遠くに行くことができます。そのことを子どもはまだ知らないのですから。

 

僕も小学4年生の子を持つ親として踏ん張ります。