今日は中学生向けに書きます。

 

 

国語と算数(数学)と英語。そして、理科と社会。

 

少なくとも高校までは、国数英の3つと理社の2つの間には大きな壁があります。

 

その違いはどこにあるかというと、前者が練習とまったく同じ問題、つまり算数(数学)であれば数字までまったく同じという問題が出題される可能性が極めて低いのに対し、後者は練習とほぼ同じ問題が出題されることでしょう。

 

ちょっと難しく言えば、国数英は抽象化する力がより求められるということです。

 

このことを知っているかどうかは、勉強の仕方、成績の伸びに大きな差を生みますよ。

 

 

具体と抽象とは何か、これは例で説明します。

 

具体 → 抽象

 

りんご → くだもの

ピアノ → 楽器

トカゲ → 爬虫類

日本 → 国

太郎くん → 人

 

具体と抽象をイメージできましたか?

 

辞書的にいえば、抽象とは『それぞれの具体から、ある共通な属性を抜き出し、一般的な概念としてとらえること。』です。

 

よく世の中で"頭がいい”と言われる人は、この抽象化する力が高いんですね。

 

違うものが、抽象化されている人からすれば同じに見えるんです。だから、前の時と同じことをすればいい。

 

こんな経験はありませんか?

 

Aくん:「この図形の問題、どうやって解くの?」

Bくん:「ああ、この問題はね、まずここに補助線を引くでしょ・・・」

Aくん:「いや、補助線を引けば解けるのはわかるんだけど、なぜそこに補助線を引けばいいってわかるのかなって。」

Bくん:「ん?・・・いや、こういう時はここに引くっしょ。」

 

Bくんには、過去にやってきた問題と同じに見える「感覚」が備わっていて、Aくんにはそれがない。だから、どうやっていいのかわからない。補助線を引ければ解けるだけの知識はあるのに、その一手が見えない。

 

これをセンスとか、才能という言葉であきらめてませんか?

 

 

確かに、運動神経と同じように、抽象化する力には伸びやすい人と伸びにくい人がいるのでしょう。

 

でも、そもそも抽象化しようと意識して具体に当たっていますか?

 

抽象化しようと意識して、具体に当たる。

 

「こういう問題は、こうすればいい。」と抽象化できるまで具体に当たり続けるんです。

 

「リンゴ」というものを知るために、「リンゴ」を調べまくる。

だけじゃなく、同じグループとされている「ミカン」も調べる。

そして、同じではないとされている「トマト」と比較してみる。

そうすることで、やっと「果物」という概念が感覚的につかめてくる。

そうすれば、初見の「モモ」も果物ではないかという感覚が身についてくる。

 

果物の感覚が身についていない人にとっては、「モモ」は今まで教わってきた「リンゴ」とも「ミカン」ともまったく違うものです。どこが似てるのかってくらい違う。でも、同じようなものに見えてくるこの感覚、わかりますよね。

 

意識すれば、無意識でやれる奴より、もしかしたら上回れるかもしれませんよ。

 

 

 

タイの果物、ชมพู่

 

ลำไย

 

見たことなくても、匂いとか味とかで果物だってわかるんだよね。