下の学年ほど「無理強い」は長期的にマイナス効果になる、と確信しています。

 

「やらせる」は、「やってあげる」と同じで、今の解決方法でしかない。

 

もちろん、今の解決を優先すべき場面は当然あります。けれども、基本的には「無理強い」は避けるべきだと考えています。なぜなら、学びを嫌なものに変えてしまうからです。

 

学びを嫌なもの、勉強を嫌いなものにしてしまったら、もうその子は二度と這い上がろうとしないかもしれない。その場、たとえばその一回のテストを良くする代償としてはあまりに釣り合いがとれません。

 

 

先日の授業でのことです。

 

北海道ではみんなスキーを滑れるの?と生徒らに聞かれました。

 

「日高山脈の西側であれば、基本的にどんな奴でも滑れると思うよ。だって、授業でやるんだから。」

 

そう答えると、一斉に「羨ましい!」の声。

 

「いやいや、ぜんっぜん羨ましくないよ、スキーなんて楽しくない。できるならやりたくないもの。」

 

「なんで、なんで!あんなに楽しいのに!」

 

それはね、やらされてるから。授業だもの、自由には滑らせてもらえない。先生の指導に従って、少し滑っては、止められ、少し滑っては止められる。その度に指導が入るのね。そして、成績がつけられるの。

 

上位のうまい奴らはそれなりに楽しんでたかもしれないけど、大半は好きじゃなかったね。

 

つまり、どんなに楽しいことも、やらされたら嫌になるってことさ。

 

嫌になったら、自分から取り組むどころか避けるようになるでしょう。当然伸びるはずもない。それは大切な芽を摘むことになる。だから、オレは宿題を出さない。やらせない。自由を与えて、自由の力で伸ばす。これがオレの揺るがない教育理念なの。

 

でも、自由には責任がある。その責任を果たさずに好き勝手に振る舞うようなら、仕方ない、その時は自由を奪います。自由を扱える精神年齢にないってことだから、幼児を扱うように扱わざるをえない。

 

いいかい、だからオレから自由を奪われないようにするんだよ〜。」なんて、伝えました。

 

 

よく聞かれるんですけど、本当に僕は宿題出さないですよ。

 

今度の授業で模試の解説をするから解いてきてね、みたいな、いわゆる予習の宿題は出しますけれど、それ以外はほぼないです。

 

去年中3社会やりましたけれど、宿題一切なし、確認テストもなし、授業のみで、ほぼ全員が入試で8割以上、半数近くが9割超えになりましたからね。

 

ただ勘違いして欲しくないのは、やらずにできる、聞いているだけでできるようになるということではないです。やらずにできることはありません。

 

宿題は無かったですが、彼らは自分で課題を見つけて、それを各自で埋めていっているのです。

 

学びとは何かを伝えていくことで、彼らが自分自身でやるべきことだと思ったことをやる。

 

それが僕の理想です。