東村アキコさんが出演されていた、朝の情報番組「スッキリ」を観た時のことです。

 

「道具じゃねぇんだ」 日テレ森アナしみじみ「道具じゃねえんだ」 6/9(水)

 

「私、今、全ての漫画をMediBangっていうフリーのアプリで(描いている)」

「他の漫画家さんからは『東村、おかしいよお前。プロのソフト使えよ』とか言われるが、別に一緒でしょ」と他の漫画家からの助言にも心は揺らがず。

 

 

これを聞いたとき、先日伺った某私立の進学校(東大合格者が毎年いるような)の副校長がおっしゃっていたことと僕の中でリンクしました。

 

コロナになって、公立高校の教育はしばらく何も対応できなかった。一方、私学は元々ICT教育環境(一人一台のタブレットや電子黒板、全教室Wi-Fi完備など)を整えていたので、すぐに対応できた。

 

この数ヶ月のアドバンテージは、高校3年生にとってもの凄い差になると言われていたが、蓋を開けてみたら全国の公立高校が躍進、私学は負けた。我が校だけじゃない、どこの県も公立は強かった。もちろん、試験内容が変わったことも要因として大きいと思う。

 

いくら道具を用意して、環境を整備しても、あれやこれやとしてあげる教育では、新しい時代に対応できる、自律した生徒を育てることには繋がらないということではないか。ICTは所詮道具に過ぎず、それ自体が効果を上げるというものではないということを痛切に感じた。

 

 

文科省はICTについて、こう言っています。

 

「もはや学校の ICT 環境は、その導入が学習に効果的であるかどうかを議論する段階ではなく、鉛筆やノート等の文房具と同様に教育現場において不可欠なもの」

 

そう、あくまでも道具に過ぎないんですよね。


ですから、鉛筆をシャーペンにしたら、教科書をフルカラーにしたら、学力は上がるか?とか、そういうことではないんですよ。


過去の例を用いるなら、教科書が白黒の手書きのイラストだった理科の教科書がフルカラーの写真になった、というような、もちろん劇的な変化ではありますが、そういった道具の進化の一つであって、それだけで学習効果が上がるというようなものではないんです。

 

 

ICT教育によって学力が上がるという研究結果はほとんどありません。 東京大学名誉教授 佐藤学

 

 

「情報や知識の獲得には有効だが、その知識や情報を活用する深い思考や探究的な学びにはつながるものではない」

 

言われてみればそうですよね。インターネットが普及して、知識を獲得するために必要であった時間が短縮されました。しかし、人類全体の思考力が高まったかといえば、高まった人もいれば、むしろ考えなくなってしまった人もいることでしょう。

 

地図検索アプリや交通情報アプリができて便利になりました。検索すれば最短のルートが示されます。

 

一方で、20代から30代前半を東京で過ごし、それ以降を北海道で過ごした75歳になる父は、今も頭の中に地図があるようで、上京すれば、「○○駅から○○駅なら歩いた方が早い」とか、「△△駅なら××線に乗って、□□駅で乗り換えた方がいい」など即答できます。

 

首都圏在住25年を超える自分はいまだわかりません。だってアプリで検索してしまうのですから。

 

得た結果だけではなく、それを修得する過程で育成されるものってあると思うんですよね。そして、それがこれから求められる『知識や情報を活用する深い思考』や『探求的な学び』だとするなら、極めて人間的でおもしろい。

 

「環境は保護していく。しかし、経済的な発展は進めていく。」たとえば、こういった両方を為し得そうにもない状況を前にしてもあきらめない。バランスをとりながらわずかでも前へ前へと進めていく。それが人間が持つ知の力だと思います。

 

容易に情報を手に入れられることで得られた時間で何をするか。そこで何もしなければ、その空き時間で寝たり、ゲームをしたりでは、それは退化です。

 

自分が大学生の頃は、文献や情報を探しに、国会図書館に行っていました。なかなか見つからないので教授にアドバイスをもらいながら、様々な文献に当たったものです。しかし、今はきっとそうではないのでしょう。僕が見つけ出すまでに費やしたあの時間、無駄に見えるでしょうね。きっと一瞬で求める文献に到達するのでしょう。

 

で、浮いた時間をどうするか。もし何もしなかったなら、きっと当時の僕らより退化しているでしょう。

 

ICT教育はまだ始まったばかりです。右へ左へと振り子のように揺らぎながら前へ進めていきましょう。