続きです。

 
 
⑴ 神様とか噂が流れるくらいの成果を出している。
 
⑵ 毎日呼んでは、深夜まで付きっ切りでやっている。
 
⑶ 自分にも、生徒にも、年にほぼ休みがない。
 
これでも生徒は劇的に増えない。
 
ということはつまり、自分で成果を出していると思っているのはただの独りよがりなんだと、今の自分ではまだまだ「普通」なんだと考え直しました。
 
思えばここがターニングポイントだったと思います。
 
実際に今からすれば、あの頃の自分は普通どころか、全然未熟な腕なわけです。でも若さゆえか、それに気がつくまで時間がかかりました。
 
ここは多くの塾の若い先生、特に大手の塾の若い先生なんかは勘違いしやすいところではないでしょうか。
 
どの塾の先生も毎日自らを研鑽し続けているのですから、先生本人が思うほど、個人の技量に大きな差などつかないということを。
 
 
 
そこでどうやったら突き抜けられるのか、学びに出よう、と考えました。
 
普通なら、他の塾なのかもしれません。
 
でも僕は他塾はまったく頭に浮かびませんでした。
 
ではどこか。
 
私立高校に学ばせてもらおうと考えました。
 
 
〝成果を出している私立高校はどのような教育法を持っているのか。″
 
 
北海道の田舎出身の僕にはとても考えられない、ここ首都圏の学校の数。
 
所沢から通える高校はおよそ100校にもなります。
 
もちろん公立高校がないわけではありません。公立高校の数も僕の地元の3~5倍はあります。
 
 
塾を始めて最初に驚いたことが、同じ距離、同じ偏差値層に10校以上もある中で、何を基準に学校選択するのかということでした。
 
このことは高校サイドからすれば、選ばれるために各高校、教育方針に特色を打ち出さなければ選んでもらえないということです。
 
学費の面で公立よりも200万以上出すことになる私学であれば尚のこと。
 
数十年にわたり競い磨かれてきた私立高校の技術、これを学ばない手はないでしょう。
 
 
何十校もの高校に赴いては、様々勉強させてもらった結果、わかったこと。
 
① 学力を上げることが存在意義であって、すべてはその目的に矢印が向いていること。
 
② 学力は学ぶ力であって点数が取れる力ではない。よって、問題をたくさん解かせれば上がるという単純なものではない。
 
③ 先生の技量は重要だが、先生が個人技で伸ばしているようでは一流にはならない。一流の高校には生徒が伸びていく「場」がある。
 
すばらしい成果を上げている高校に、すばらしい先生は必ずいる。
 
しかし、すばらしい先生がいる高校が、すばらしい成果を上げているかといえばそうとはいえない。
 
この気づきは僕にとってまさに雷に打たれたような衝撃でした。
 
教育効果をもっとも高める秘訣は、先生はもとより、歴代の先輩や同期の仲間たちが作り出す雰囲気、言い換えるなら伝統にある。
 
これだ!ここを高めていけばもっともっといい学び舎になる。
 
 
確かに、個人技だと僕に合わない生徒は伸ばせない。生徒数が増えていけばどうしたって自分と合わない生徒が出てきます。
 
また個人技では、生徒数が増えれば一人当たりに関われる時間も減っていきます。
 
これではダメです。安定感がありません。
 
そして何より大きいのが、個人技で上げてもらった生徒は、自分の元を離れた後にまたできなくなるということです。
 
伝統という「場」が持つ力は、卒業後も続きます。また特定の誰かにしてもらった感が薄いので、自分でやれた感覚が残ります。
 
これはとてつもなく大きい。
 
 
・・・長くなりました。下で子どもたちが騒ぎ始めましたので今日はこの辺で。