先日の塾ブログフェスに参加してからというもの、全国の塾や教育関係者からアクセスが増えています。

 
「書き手にしてみれば、過去に書いたことをまたもう一度書くのは気が引けるものだけれど、読み手はいつも同じ人ではないのだから、伝えたいことはたとえ同じことでも何度も書くべき。」
 
秋田の佐々木先生が、会の中でおっしゃっていたことです。
 
いい機会ですし、自己紹介がてらに、自分の教育観や指導法、塾をどういった考えの下で作ってきたのかなど、これまでの経緯を簡単に書き連ねてみたいと思います。
 
あくまでも回顧録なので、実際には紆余曲折、試行錯誤の繰り返し、すんなり今の姿になったわけではないですよ。
 
これから塾を始められる方は、そこを誤解なさらないでくださいね。
 
 
では、始めます。
 
 
まず、僕が塾を自分で始めたのは大学4年生の2月、卒業間近の時です。
 
それまでは、内定が決まっていた塾でインターンとして半年ほどやっていたのですが、やっているうちに自分でやってみたくなったんですね。
 
若さゆえの勢い、とでも言いますか、「もし仮に失敗しても、教員採用試験を受ければいい。やりたいことは若いうちにやろう」という気持ちが強かったんだと思います。ちょうど過去最低の就職率で、学芸大や早稲田を出たって首都圏じゃ教採に合格するのは難しく、浪人する人も多かった時代だった、ということも、今思い返せば後押しになったような気がします。
 
当然お金もないですから、広告も撒けずに、看板も開校してから、しかも壁に自作でつけるという、今思えば愚か極まりないスタートでした。←ここ笑うところ。
 
・・・生徒、来ませんよね、普通に考えたら。
 
それが、ツキと言いますか、その年は10人ほど入ってくれたんです。本当に感謝。
 
それはもうムチャクチャ懸命に教えましたよね。こんな塾に来てくれた生徒です、なんとしてでも伸ばそう、応えようと、それはもう寝食を忘れて必死にやりました。
 
その甲斐あってか、卒塾するときには全員に喜んでもらえたんじゃないかと思っています。
 
この頃の記憶は今も鮮明に残っていて、特に中3生だった一期生の6人は死ぬ間際に親族の次に思い出すんじゃないかな。
 
 
そして二期目。
 
20人くらいになりましたかね。すいません、正確に人数までは覚えていないので。
 
ちなみに言い忘れていましたが、塾は僕一人で始めたわけではありません。
 
僕の友人の中でもっとも知的で、高校時代に天才との呼び声もあった元新聞社のK、そして大学時代の後輩で、ルックス良し、トーク良し、運動させれば全国大会出場というトータルバランスどんだけ優れてるんじゃ!というTに声をかけて、3人で始めました。
 
と、いうことは察しの良い方はわかりますね。
 
給料、渡せないんです!
 
生徒20人じゃ、家賃で精一杯です。資金は1年目で底をついています。もう厳しい。
 
 
それでも、若さというのはすごいもので、生徒の学力をとにかく伸ばすんだ!という熱意があれば、霞を食べて生きていけるんですよ。←あくまで例えですよ。
 
水をたくさん飲んで、実家から送ってもらえた米やパスタを塩だけかけて食べて、1年とにかくどうやったら生徒の学力は伸びるのか、考えに考えました。
 
本も買えないので、本屋で2、3時間立ち読みで勉強したりしましたね。スマホなんかもないんで、さすがに紙とペンで書き写すのも倫理的にどうかな、と思い、必死に覚えました。←本屋さん、そして著者の方、本当に申し訳ありません。
 
そんなこんなで2期生13人、おそらくですけどほぼ全員に喜んでもらえたと思います。そしてこの時期くらいから、謙遜せずに言うなら、「英語で神様のような先生がいる」とか、「塾長が、まさに闘将!」とか、「スクールウォーズ滝沢賢治みたいな熱血な人」だとか、そういう噂を聞いて来たという保護者の方が結構来られるようになりました。
 
そして3期生、これがヤンチャな奴らが集まった代で、学校の授業中に一番後ろの席でタバコを吸ってるとか、捕まった奴もいましたし、もう荒くれ者たちがいる塾と思われていたと思います。

思い起こせば、この時期家庭訪問とかもしましたね。塾に来ない生徒とか、学校で暴れたとかで部屋に閉じこもっている生徒とか、保護者の方の許可を電話で取り付けて。
 
心根のいい、というか、幼い奴らなんですよ。幼いゆえの素直な反応なんです。ただそこに加えて、体が中学生離れしていたことが、悪い方面に向かわせてしまったんです。
 
そんな奴らの中でも、一番に覚えている生徒がいます。学校のテストは100点を超えるくらい。特に英語は壊滅的でアルファベットも全部かけないという状態で、中3くらいに入ってきた見た目超イカツイ生徒。
 
これまでいくつかの塾を渡り歩いてきたということで、きっと劣等感を植え付けられてきたんでしょう、勉強というものからは完全に背を向けていました。授業中に教室を抜け出そうとして僕と取っ組み合いになったこともありましたっけ。
 
それがいつしか、想いが伝わったのだとしたら嬉しいですが、少しずつ勉強に向かうようになり、わかることも増えてきた?かな、笑顔もよく見せるようになったある時、「オレ、先生のために次の北辰で偏差値40をとる!」って言ってくれたんですよ。アイツはもう忘れているでしょうけれど、僕にとってはあの言葉は一生忘れることができません。
 
それから毎日のように、深夜0時を回るまで一緒に勉強しましたね。シャーペンの後ろでコメカミあたりをこすりながら、眉間にしわを寄せる姿が今も思い出されます。
 
そして、その北辰の結果が返ってくる日、教室で待っていた僕のもとに電話が。その生徒のお母さんです。
 
「北辰の結果を開けて見るなり、部屋に閉じこもってしまって、もう何時間も出てこないので、今日はお休みさせてください」
 
数日後、申し訳なさそうに顔を出したアイツを飛びついて抱きしめました。
 
 
そんこんなで3年目が終わりまして、生徒数はやっと30人くらいになったでしょうか。
 
いまだ広告なんか出せず、ネットも普及し始めた頃ですからそれを使うなんて発想もない時代です。
 
わずかばかりの金額を、KとTに渡して、自分はいまだ無給で無休。
 
口コミだけで少しずつ生徒は増えていましたが、ここでふと、ある考えが脳裏に浮かんだんです。
 
 
教育は絶対に人。先生の腕次第。だからとにかく自分の技量を上げないといけない。
 
そして、
 
自分の技量が高まって、生徒が劇的に伸びていけば、支持が集まって生徒は増えていく。
 
このロジックは本当に正しいのか?
 
 
思い出すがままに、書き殴りましたが、疲れたので続きは次回に。
 
 
 
 
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熱田神宮の7本の神木の一つです。
 
まさに荘厳、感動してしばらく見惚れてしまいました。