海外を見ること、特に学生時代に異国の情緒、空気に触れることは極めて重要だろう。
このことついては、行ったことがある人にはほぼ100%同意していただけるだろうから、まだ行ったことのない人向けに、とりわけ大学生にその意義について伝えたい。
まず、なぜ大学生か。
もしできるなら高校生くらいでもいいのだが、引率無しで、一人でポッと行くというのは、16、17歳にはあまり現実的ではないと思う。
また社会人になってからでは、新卒の23、24歳は仕事を覚えるのに必死でその余裕もないだろうし、そもそもそこから何かを感じ取ったとして、それを活かせる環境かどうか疑わしい。
海外に行って、自分の足と五感で感じとる「何か」。
これは、物の見方、考え方、そして捉え方がゴロリと変える。
誤解を恐れずに言えば、人格を変える。
このことに意義がある。
言語に対するアレルギーが減るとか、ましてショッピングが楽しいとか、そういうものは二次的なものに過ぎない。
かく言う自分は、大学時代に海外を避けてきた。
友人に誘われるなど機会はそれなりにあったが、そのたびに、「そのためにお金や時間を使うなら、もっと別のものに使うほうがいい」と言っては断ってきた。
当時は本気で、国内旅行や友人との遊びの方が意味あるんじゃないかと思っていたからだ。
転機は10年位前。
タイの大学で講師をしていた友人から、「タイの大学で授業してよ」と誘われたことにある。
その時も海外に興味がなかったのだが、大学生に授業をするということに興味があったので、しぶしぶながらもパスポートをとり、初めて国外に出た。
衝撃を受けた。
目から鱗が落ちるとはよく言ったもので、帰国してからは今まで見えていた日本の姿が違って見えるようになっていた。
30歳でもこうだ。これが20代だったならどれほどのことだろうか。
大学時代に海外へ行っていたら・・・
もし留学していたら・・・
鱗がとれた目で、大学生活を過ごしていたならどうなっていただろう。
また、その目で就職活動をしていたら今の自分はどうなっていただろう。
まさに後悔は先に立たず。
もちろん、今の自分に不満などはない。
いやむしろありえないくらいに幸せを感じさせてもらっていると思う。
また塾を立ち上げてからは、その時、その時にやるべきことを懸命にやってきた自負があるので、その意味での後悔はない。
ここで言う後悔とは、鱗が取れた目で、大学時代という、あの煌めきの時を過ごしたらどうなっただろうか、といういわば妄想みたいなものだろう。
さて、僕は先生です。
先に生まれたから身として、しなければよかったと思うこと、そしてしていればよかったと思うことを後に生まれた世代に伝える仕事をしています。
ぜひこの経験を若い者に伝えたい。
そこで始めた企画が、僕が毎年のように担当しているタイの大学の授業に、大学生講師らも参加させること。
タイの大学の学食
タイの大学の授業
学生同士の交流会(食事会)
タイの市場
タイの道路
生徒たちはもちろんのこと、講師たちもまた大切な教え子です。
最後に、恥ずかしながら僕の授業の様子を少しだけ。