数日前の20日、講師の送別会が行われ、東所沢教室からは6人の教え子が、今回は講師として二度目の卒塾をしました。

 

ウィルの送別会では、卒塾する講師が後輩講師たちへ遺言(遺す言葉)として、一人一人およそ20分~30分、全体に向けてスピーチをするのが恒例です。

 

みな本当に立派なスピーチをしてくれました。

 

できることなら東所沢卒塾講師6人全員のスピーチについて書きたいところですが、今回はその中でも6年もの間勤めてくれた愛弟子、宮澤について書きたいと思います。

 

宮澤は7期生ですから、今年卒塾した生徒らのちょうど10歳上になるのですね。

 

こうして目をつぶって思い起こせば、まだ小さくて、あどけない姿が目に浮かびます。

 

 

彼の最後のスピーチ、その内容は『子どもの可能性は∞』

 

配られたプリントには、ある生徒の中1の頃の成績が掲載されています。

 

Aくん 中1の成績 

後期 期末  国語42点 数学48点 英語13点 社会10点 理科31点 合計144点

後期 通知表 9科21(理科・音楽・美術以外すべて2) 

 

この成績の生徒を見たら、この生徒はどのくらいの偏差値になると思いますか?

 

宮澤は全講師に呼びかけます。

 

「偏差値50がいいところじゃないか」

 

「いや、45辺りでしょ」

 

そんな声が口々に聞こえてきます。

 

この生徒が、塾長のある言葉を聞いて変わるんです。

 

この生徒が塾長に聞くんですよ、僕でもがんばったら川越高校とか行けますか?って。

そうしたら塾長が言ったんです。ちゃんと言うことを聞いてやれば行けるよって。

 

本気で言っているかどうかなんて、顔を見ればわかるじゃないですか。

塾長、「え?当たり前でしょ?何聞いてんの?」みたいな顔で言うんですよ。

 

そこからAくんは変わるんです。そして成績も徐々に上がっていき中3にはこうなります。

 

Aくん 中3の成績 ※当時二学期制のため最後の定期テストが後期中間テスト

後期 中間  国語47点 数学74点 英語72点 社会75点 理科86点 合計354点 

中3 学年評定 9科31 

 

当時の僕は川口北高校を志望していたんですけど、残念ながら北辰テストの偏差値も60に達することはなく、第二志望の朝霞高校にするしかないかなと思っていたところ、塾長からこう言われるんです。

 

「MARCHレベルの大学を目指すには、是が非でも所沢高校以上は行くべきです。ここは所沢高校へ願書を出しましょう。」

 

私服が嫌だったので、所沢高校なんて僕は一言も口にしていないのにですよ(笑)。

 

でも、塾長がそう言うんだったら、と言われるがままに出願したところ見事合格。

 

その後、このAくんは法政大学に合格して、今ここにいます。

 

そう、このAくんは僕です!

 

親もそんなところに行けると思っていなかったですし、僕自身も思っていなかった。

きっと誰も思っていなかった。でも、信じていてくれる人がいることで僕の人生は変わった。

 

人は自分の経験から、この子はこのくらいだろうって決めつけてしまうでしょう。

 

でも決めつけちゃダメなんです!

 

 

そう語りかけた彼、宮澤は法政大学理工学部を卒業後、内定をもらっていた某企業に就職する予定でした。

 

しかし就職する数か月前、「本当は教師になりたい」、彼からそう打ち明けられました。

 

「だったらなればいいじゃないか。」

 

そう言う僕に、「でも教職をとっていなかったですから」という彼。

 

「なら、これからとればいいじゃない。人生、本当にやりたいことが見つかっているのなら迷うことはないよ」

 

そうして、宮澤は内定先を断り、科目履修性として大学に残り、今年教員免許を取得。来月から学校の先生になります。

 

決めつけちゃダメ。子どもの可能性は∞。

 

きっといい先生になるでしょう。

 

 

 

さて、最後に卒塾生のみんな。

宮澤がウィルにいるのも残り数日だけ。

最後の勤務日は3月30日だよ!

 

 

追記① 宮澤の名前や成績を使うことは本人の承諾済みです。

 

追記② このプレゼン後に、ある講師からの「思い返してみて、なぜ宮澤先生は川越高校には行けなかったと思いますか」という質問に、宮澤は「当時はやっていたつもりだったけれども、講師として川越高校に受かる生徒を見て比べてみると、圧倒的に足りてない。そういうところが大きいと思います」と答えています。