ネット上に『思わず目頭が熱くなってくるコピペ』というのがありまして、昨日の帰りの電車の中で読んでいました。
 
その中にあったものです。
 
 
以下、引用。
 
 
私の家は、俗に言う父子家庭でした。お父さんはとにかく家事が出来ませんでした。それはもう、笑っちゃうくらい。お弁当に入れる卵焼きさえ、いつも黒焦げでした。私はそんはお弁当を友達に見られるのが嫌でいつも隠れて捨てていました。包丁なんてまともに使えないくせに、無理してウインナーをタコの形に切るんです。りんごがあればうさぎの形に。ニンジンなんかは、とっても歪なハートの形に。いつもお父さんは朝早く起きて、私のためにお弁当を作るんです。私が誕生日を迎えた日にも相変わらず、お父さんはお弁当を渡してきました。私はいらないと言ったのですが、それでも無理矢理持たされました。しかし、その日も結局、友達に見られたくないという恥ずかしさから、私は登校中にそれを捨てました。そして何事もなく学校が終わり家に帰宅すると、
 
「どうだった?今日の弁当」
 
お父さんがどこか浮き足だった様子で、私にそんなことを聞いてくるのです。「ハッピーバースデーって文字の形、海苔で作るの大変だった」お父さんはニコニコと嬉しそうに言いました。それを聞いて、私は泣きました。私のために毎日欠かさず、一生懸命作ってくれたお弁当。それから、私は毎日お父さんのお弁当が楽しみになりました。ボロボロのタコウインナー。傷だらけのりんごのうさぎ。欠けたハート型のにんじん。どれもこれも、私の大好物になりました。友達に思い切り自慢してやりましたよ。私の大好きなお弁当だ!って。
 
それから時間は経って、今では娘の顔さえ忘れるほど年取ったお父さんに、今日も私はお弁当を届けています。いつも全部食べてくれてありがとう。お父さんのお弁当、また食べたいよ。
 
 
引用終わり。
 
 
僕も早くに母を亡くしていまして、父がお弁当を作ってくれていた時期があります。
 
ガッツ石松か細川たかしか、そんな見た目の父が、なんでも腹ん中に入れたら一緒なんて言う父が、ごっつい手でつくる弁当はもう、ほんっとにヘタで、蓋を開けたら半分が白、もう半分が茶色の二色弁当。
 
どう見てもキャラじゃないだろう、たまにタコさんウィンナーなんか作ったりしてるんですけど、これもどうやったらこんなに不恰好にできるのかと思うくらいで。
 
『パンを買っていくからお金だけくれればいいよ。父さんも朝早く起きるの大変だろうし。 』
 
ある時にそう言ってからは、父の弁当は見てません。
 
父がその時どう思ったのか、なんて、今更聞く気もないですが。
 
僕もいつしか38歳。母が死んだ年に来年なります。
 
もう少し早くに、できれば母が死ぬ前に、ほんの少しでも親の心を慮ることができるようになれてたら、なんてことが頭をよぎったら、勝手に…
 
車両がガラ空きでよかった。