防御機能。冷酷で、苦痛を我が身から遠ざけようとする強力な近衛隊。その前では人道という概念はこの地から消え去る。この本能は様々な生き物からもその容赦の無さが伺える。また人も同様である。血を以て、それらは必死に体を使いながらのたうち回り、痙攣しながら、代弁しようと欲する。例えば、血の荒々しい民族からはそのような何かしらの隔世遺伝が見受けられる。 昔から続く残酷な刑罰、野蛮な風習、権力闘争などが激しいところにおいての、不安、恐怖、痛み、斑点、精神分裂、それらへの防御機能なのだ。所謂、一種の生理現象による免疫である。多分、それらを僧侶たちは業だと嘯いて、輪廻として法典や曼陀羅に顕したのだろう。そして、その目論見は災いなるかな、成功してしまった。やつらは忌まわしき心理学者であったろうし、精神衛生の事に関しては非常によく心得ていた。彼らの住む寺院のような瞑想に最適な場所を独り占めしていた時代にあったような、上院の僧が祈祷やお経を大声で唱えるのを憚られるような建造物こそ、必要かもしれない。そして、そのような場所では我々は石か、または墓に咲く草花になりたくなってしまうだろうが。 
 ギリシア人は奴らと戦うため、アテナイにも遺していた合言葉「汝、自身を知れ。」。自身に飽きてしまうほどに見尽くしてしまえという意味あいもあるが、何よりまず、己が精神の主人になれという意味もあったのかもしれない。ソクラテスやプラトンがが遺した、忌まわしきイデアの呪縛が世界に蔓延る以前に、人類の素晴らしき黄金時代があった。かの憧憬は未だ我々の精神にとっても尊い。皮相的には平和な世界においても、構築している背骨は幾多にも張り巡らされた数々の狂気なのだ。だが、それでも、狂気にあっても尚、人間の精神は尊い。「汝、自身を知れ。」。それは、狂気に対する一つの答えなのだ。