思慮深さと成功。根本のところでは諸々の徳の、諸々の徳の曾祖母たり、女王たる思慮深さのあの優れた性質も、普通の人生で決して常に成功を伴うとは限らない。そして、成功だけをあてにしてこの徳に求愛した求愛者がいるとしたら、錯覚をしていた己自身に気づくであろう。つまりこの徳は実践的な(実行型の)人々のあいだではうさんくさいものと見なされ、陰湿さや偽善的な狡猾さと混同されるのだ。反対に明らかにこの思慮深さを欠く者、つまり手出しの早い、そしてつかみ損ねる者は、ずっと正直で信頼できる仲間だという先入観を人から受ける。したがって実践的な人々は思慮深き人を好まない。この者は、彼らが言うように、彼らにとって一個の危険なのである。他方この思慮深き者は、とかく小心で偏頗で杓子定規だと見なされる。また、非実践的で、享楽的な人々も、まさにこのような人間を不愉快に思うが、それは、この者が行動や義務に対して無考えに手軽に生きない人間だからである。つまり、思慮深き者は、彼らのあいだでは、良心の権化であるかのように見えるからであり、またこういう思慮深き者を見ると、白昼の明るい光も 彼らの目には(良心の咎めのため)青ざめて見えてくるからである。したがってこの者が成功にも、人気にも恵まれないとしても、それを疎かや蔑ろにするものたちにこう言ってやればよい。「まさしくお前たちが人間の世界で最も貴重な財産を所有する代わりに支払わなければならない税は、こんなにも高い。だが、この所有には、それだけ支払うだけ値打ちがあるのだ!」と。