「ゲーム」は誰もがやったことがあるだろう。

テレビゲームに限らず、カードゲームなど、とにかくゲームならなんでも良い。

ゲームとは誰もが知っていて、誰もが「簡単、手軽」に「楽」を得ることができる。

だから、誰もが関わるのだ。

音楽もそうなるべきだと思う。

というか、外国ではそうなっているのだからなれるはずだ。

そこらへんに鳴っている音楽をふらっと聴いて、なんか癒されたり、なんとなく黄昏たり。

日本の考える「音楽」は、とっても固定観念によって「固い」ものになってしまっている気がする。

もっと柔らかくて、ある意味手軽に面白く聴けるものだということを、伝えていくのも、日本で活動する演奏家の使命のひとつなような気もする。
バロック音楽は
気を抜くとあっという間に機械的な音の羅列になる。

バロック音楽にはたくさんのルールがあって、それに反してはいけない。

この二つの要素が、特に表立ちやすいのがバロック音楽だ。

しかし、つきつめると実はそんなことなくて、

音の羅列には自然に鳴るだけでも音楽的に歌うような旋律になっていて、実にロマンチックだし

ルールの中にも、例えば当時の貴族のパーティーの踊りの場面で、場の空気にあわせて装飾やテンポもしくは音まで変えてしまうなんていう、ありえそうにないくらいの自由さだってある。

しかも、バロック音楽の資料は数少ない。

バロックはそういう意味で、非常に自由で無限の可能性を持っている。
ただし、責任がついてくるよという話だ。たしかに重い責任だが、自由に責任はつきものなので、ある意味そこは簡単にあきらめがつくだろう。

そう、バロックは自由である。
ここにバロック音楽のおもしろさが凝縮されている。
同じ曲でも、一人一人の演奏者によってまるで別の曲かと思えるようなものまである。

その個人の解釈を、当時の高貴な雰囲気を、じっくり味わえるのが、バロック音楽の良いところなのではないだろうか。
オーケストラはすごい。

僕はピアノなので鍵盤を押せば音程は作られますが

弦楽器、管楽器などは自ら音程をつくらなければならない。

ましてや、それを大きな集団とあわせなければならない。

そこにさらに音楽をつくらなければならない、、

あげたらきりがない。

押せば音程はでるピアノでも

「あわせる」ということは非常に難しいのに

オーケストラというものは

壮大な努力の積み重ねが

作り出す音楽集団なのだと思うと

いやはや、ひたすら感心である。