今の政治は悪循環な政治で、なかなか脱出できないでいる。

どんなに見た目がいい解決策を提案しても、実際やれる立場になって実行しようとする時、現実的なものが見えて、予定通りに実行できなくなる。

本来、解決策を練る時点で、現実を見ながらたてるべきものが、そうではなくなっている。

これでは学生の模擬体験と同じだ。

こんなことだから、悪循環から脱出できない。

しかし現実的なものがそうだ、仕方ない。といったらそれでおしまいだ。

政治家はたしかに有能だ。しかし、政治家は政治家だ。

大人が明らかに無知で、能力も劣る子供から、なにか重要なヒントを得ることは、この世の中多々ある。

そこで、そんな考えに似た形で政治の世界にもう少し国民を加えたらどうだろう。

もちろん政治家もみな国民だが、そうではなく、政治家のプロではない、いわゆる「世論」代表を投入するということだ。

具体的な方法はなにかと言われると、事情を知らない僕には難しいが、例えば、裁判員裁判のように、国会に毎回違う一般人を数人招くのだ。

裁判員裁判ができるなら、これだって夢ではないのでは?


固い頭に、まるでおかしな柔らかな頭がはいってくるからこそ、なにかが変わるということは、ないのだろうか....

何が言いたいかというと、今の状態より、もっともっと、国民(世論)が、直接的に政治に関わる必要があるということだ。

そうでないと、人任せに選挙に関わる人間もたくさんいる。

「ニュースでいってたからなんとなく流れで」「わからないからとりあえず。」
こんなのが多くいたら、選挙をやる意味がない、報道が選挙を決めてしまうものだ。

だからこそ、もっと直接的に関われる機会を持ち、本当の日本の「現状」をさらに国民がわかりやすいように、するべきではないだろうか。
音楽大学のあきの教室でピアノをひいていたら

「ここは練習するところじゃない」

と怒られたらしい。

たしかに練習室ではない。

しかし、音楽を学びに来ているものが、音楽を学ぶ場所で、そこにあいている空間とピアノがあるから練習をしているもののなにがいけないのだろうか。

誰か使う人が来たらそれはどかなければなるまい。

しかし、そうでないのに少しでも一瞬でも上を目指そうとしているものを止めてしまうのはどうだろうか。

きっと欧州ではありえない。むしろ笑顔でその姿を見るはずだ。

日本はそういうところで

残念な箇所がたくさんある。

今の日本では仕方ない部分もあるのだが。
ぶろぐやってみました。

なに書くか決めてないのにはじめました。

なんとでもなるでしょう。