4月に入って、少ないながらも徐々に情報が見つけられるようになった
2ちゃんねるの怪しげな情報も、無いよりはマシという感じで、現地の様子を想像するのに使っていた
会津の親戚から、ガソリンが何とか手に入る状態になりつつある、という情報を得たのが4月7日か8日頃だったか
当初は福島空港に飛んで、レンタカー、という今思えば暢気なことも考えていたのだが、レンタカーの確保ができないことから断念
仙台港はまだ使えず、新潟に上陸して浜通りへ向かうプランで計画を練った
結果としてそれが良かった
現地の宿泊に関しては、車中泊で1週間、という予定で考えていた
もともと(なんちゃって)アウトドア人間なので、どこでも夜露さえしのげれば眠れるし、そういう経験は趣味の砂金掘りで経験済み
震災からちょうど一ヶ月、4月11日、行方不明の親戚の遺体が発見され、すぐに荼毘に付されたとの連絡を受けてフェリーを予約
郡山と石巻で避難している親戚に渡す若干の物資を積み込んで小樽港へ向かった
妙な高揚感と不安感が入り混じっていた、と今になって思う
ネットで現地、福島県浜通りの情報を探すも、ほとんど見つからない状況だったように思う
岩手県や宮城県の話はかなり見つかるのだが、福島の浜通りについてはどうしようもないほどに判らなかった
中通りの福島市や郡山市の状況から推測する以外に無かったように思う
ガソリンが無い、灯油がない、食料が不足、水が無い、医薬品も電気もガスも
宮城~福島にいる親戚からの情報が少しずつ集まりだしたのが、1週間ほど経ってからだったように思う
その間に原発が爆発し、放射能という見えない敵の脅威も加わったことで、余計に情報が少なくなっていたのかもしれない
行方不明の親戚についても、県警のサイトで死亡名簿に移動されていたり(この時点では間違いであった)
とにかく情報が混乱していた
3月末だったか、南相馬市の桜井市長の「兵糧攻めの訴え」をネットで見て、想像以上に現地の置かれた状況が悪化していることを推測するしかなかった
この冬の札幌は、降雪が少なく、スキー場が非常に難儀していたことがローカルニュースで取り上げられていた
札幌市内のスキー場に出かけて、半日スキーをしながら、この平静な日常に違和感を感じていた
それでもスーパーから、水、カップめん、インスタント食品、米、うどんなどの乾麺が姿を消し、買占めに奔走する市民の姿はしばらく続いたと思う
それを横目で見ながら、パンや野菜、肉類をのんびりと買い物していた
日常と非日常の入り混じった、静かな混乱の中、時間が過ぎていたように思う
岩手県や宮城県の話はかなり見つかるのだが、福島の浜通りについてはどうしようもないほどに判らなかった
中通りの福島市や郡山市の状況から推測する以外に無かったように思う
ガソリンが無い、灯油がない、食料が不足、水が無い、医薬品も電気もガスも
宮城~福島にいる親戚からの情報が少しずつ集まりだしたのが、1週間ほど経ってからだったように思う
その間に原発が爆発し、放射能という見えない敵の脅威も加わったことで、余計に情報が少なくなっていたのかもしれない
行方不明の親戚についても、県警のサイトで死亡名簿に移動されていたり(この時点では間違いであった)
とにかく情報が混乱していた
3月末だったか、南相馬市の桜井市長の「兵糧攻めの訴え」をネットで見て、想像以上に現地の置かれた状況が悪化していることを推測するしかなかった
この冬の札幌は、降雪が少なく、スキー場が非常に難儀していたことがローカルニュースで取り上げられていた
札幌市内のスキー場に出かけて、半日スキーをしながら、この平静な日常に違和感を感じていた
それでもスーパーから、水、カップめん、インスタント食品、米、うどんなどの乾麺が姿を消し、買占めに奔走する市民の姿はしばらく続いたと思う
それを横目で見ながら、パンや野菜、肉類をのんびりと買い物していた
日常と非日常の入り混じった、静かな混乱の中、時間が過ぎていたように思う
2011年3月11日午後2時46分
札幌の自宅にて、東京から来る叔父の到着を待っていた
そろそろ来るはず、の時間になっても現れないのでぼんやり過ごしていたと思う
揺れ幅の大きな、ゆったりした地震
震度は3くらいだろうか
1993年の奥尻地震は旭川にいて、似たような揺れ方を経験していた
嫌な予感・・・
震源は?深さは?
あわててTVをつけて、事の重大さに驚愕していた
そこに叔父が到着
地下鉄駅から、のんびり歩いてきたとのこと
どうりでなかなか来ないはずだ
歩いていたので震度3程度の揺れには気がつかなかったという
三陸沖?宮城沖?福島沖?
大津波警報の発令を知り、肌を粟立てながらTVに釘付けになっていた
ほどなく衝撃的な津波の映像が・・・
津波の第一報が50cmとかいう報道があったので、高をくくっていたため余計にショックが大きかった
名取市の津波、釜石の津波、宮古の津波・・・
5代前まで現在の相馬市に住まい、3代前までは今の南相馬市に住んでいて、墓所もあり、知人も親戚もある
あわてて連絡を試みるも、まったく電話がつながらない
南相馬の親戚は高台に住んでいるので大丈夫だろう
しかし相馬の親戚は?
後日判明したのが、相馬の親戚が一人、津波によって命を落としていたこと
行方不明だった内は、各避難所の混乱や情報の錯綜などで、まだ望みがあるとすがるように思っていたのだが・・・
震災の2週間前、2月下旬に会ったばかりだったこともあり何ともいえない喪失感にとらわれた
いずれにせよ、現地へ入れる状況になったら行かなければ
そう考えて情報を集めることにした
3.11は自分自身にも重くのしかかっていた
札幌の自宅にて、東京から来る叔父の到着を待っていた
そろそろ来るはず、の時間になっても現れないのでぼんやり過ごしていたと思う
揺れ幅の大きな、ゆったりした地震
震度は3くらいだろうか
1993年の奥尻地震は旭川にいて、似たような揺れ方を経験していた
嫌な予感・・・
震源は?深さは?
あわててTVをつけて、事の重大さに驚愕していた
そこに叔父が到着
地下鉄駅から、のんびり歩いてきたとのこと
どうりでなかなか来ないはずだ
歩いていたので震度3程度の揺れには気がつかなかったという
三陸沖?宮城沖?福島沖?
大津波警報の発令を知り、肌を粟立てながらTVに釘付けになっていた
ほどなく衝撃的な津波の映像が・・・
津波の第一報が50cmとかいう報道があったので、高をくくっていたため余計にショックが大きかった
名取市の津波、釜石の津波、宮古の津波・・・
5代前まで現在の相馬市に住まい、3代前までは今の南相馬市に住んでいて、墓所もあり、知人も親戚もある
あわてて連絡を試みるも、まったく電話がつながらない
南相馬の親戚は高台に住んでいるので大丈夫だろう
しかし相馬の親戚は?
後日判明したのが、相馬の親戚が一人、津波によって命を落としていたこと
行方不明だった内は、各避難所の混乱や情報の錯綜などで、まだ望みがあるとすがるように思っていたのだが・・・
震災の2週間前、2月下旬に会ったばかりだったこともあり何ともいえない喪失感にとらわれた
いずれにせよ、現地へ入れる状況になったら行かなければ
そう考えて情報を集めることにした
3.11は自分自身にも重くのしかかっていた