昨日も今日も | 高橋咲―わたしがさかなだ。

高橋咲―わたしがさかなだ。

泳ぎます。踊ります。芝居します。旅します。人呼んで魚のブログです。

ディズニーランドが休園を決めたとディズニーランドで働く友人に聞いて、


そうか娯楽は不謹慎なのかと、一瞬そう安易に思った自分がいたけれど、

よく考えたらあんなに大きく揺れたんだから、ジェットコースターたちのメンテをしなきゃいけないんだなと気づいた。



不謹慎なんて安易に思うもんじゃない。




母方の父がいた街仙台でも、父方の祖父母従兄弟親類がたくさんいる岩手でも、大切な人がたくさんいる関東各地でもとりあえず知り合いと家の無事は確認できたからよかったとかそういうことじゃない。

たらればの話をしても自分には被災地の方や遺族の方の気持ちを本当には理解できないだろう。

地震が起きた時に死にたくないと思ってあまりに慌てふためいた自分には。




地震が起きた時も、余震が来ていた時も、そのあと寝床が決まるまでも、次の日も、そして今日も、

わたしは稽古をしている。

初めて企画した、初めて挑戦した、いつだって気を緩めたら泣き出しそうな不安を抱えながら、

どうしても成長したくて、どうしても舞台に立ちたくて、どうしようもなく作りたくて、

作り始めた公演。

自主公演。



やると決めたときに言われた。

例えば台風が来て交通機関がストップしてお客さんが一人も来なくても、損害は自分で抱えるんだよ。


何かに守られているわけではない、それが自主公演。





やりたいとか、舞台に立ちたいとか、そんな主張許されないと思ってた。

求められて立ちたかった。舞台に立ちたいから求められるという理由が欲しいんでもない。

求められないんなら立つ必要ないと思う自分は周りの人より舞台への温度が低いのではと思うこともある。


それでも自主公演を決めたのは、誰かに見てほしかったから。そしてわたしもそこで欲しいものがあるから。





役者という道を選んでおきながら、

こんな事態に自分の舞台が誰かを助けるとか、そういうことにいっさい結びつけられないのは咲が未熟だから?


こんな事態にわたしは毎日稽古をしているけれど、それは被災地に笑顔を届けることなんかにならないことはわたしが一番よく知っている。

どんなに回りまわってそうなっても、そのためにやってますなんて言おうものならわたしは自分の嘘つき八方美人ぶりにいよいよ我を忘れるかもしれない。




求められるようになるまで、

自分が信じた方法で自分を磨き続けていいでしょうか。

今のわたしじゃ慰問にだってならない。






今日はまた一から芝居を返し直し、夜から通しをして、終電まで一緒にいた。

芝居のことも話したし、次へ向けてやりたいことの話に花を咲かせたり、結局成長するために必死だ。


M研公演まであと少し。

いい舞台がやりたい。