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追憶の骨 (bones)

音楽や映像だけでは残せない、あの時の僕たち。

(NHK youtubeより)

 

こんにちは、ボーンズ88です。

 

平昌五輪、女子カーリングで「LS北見」が銅メダルを獲得しました。マイナー競技だったカーリング、決して恵まれてるとはいえない環境で、よくやったなぁと思います。

 

で、さっそく、こんな話題が。

 

CMオファー殺到へ…カー娘に広告業界が注目する5つの理由

 

「特定のマネジメント会社と契約をしていない今なら、ギャラもそれほど高くならないはずで、起用したがっている企業がいくつもある。チームプレーで銅メダルを勝ち取ったというストーリーは、CMに応用しやすいという理由もあります。」

(日刊ゲンダイ 2月26日)

 

僕は前回のブログでこう書きました。

 

マスコミはスポーツ選手の美談を連日放送して、ヒーローに祀り上げ、視聴者の期待値を極限まで上げて、テレビ視聴率を稼ぎ、ライセンス・ビジネスを発展させようと躍起になっています。

 

もちろん勝者となった彼女たちが、何らかの形で報酬を得られる、そのこと自体は素晴らしいことです。

 

ただし、こうしたビジネスのために、僕たちの感動がテレビによって動員されていることに、僕たち自身があまりに無自覚ではないか…、と、僕は思うのです。

 

日刊ゲンダイの別の記事で、スポーツジャーナリストの谷口源太郎さんという方が、こんなことを言っています。

 

テレビは競技とは無関係のささいな話題を誇大、拡大、誇張して視聴者の関心を引きつける、それ以外はなにも考えていません。

 期間中に選手をタレント化し、五輪が終わればバラエティー番組などに引っ張り出す。視聴率のために利用するだけ利用して、役目が終わればポイ捨て。今からそんな選手の姿が目に浮かびます。

 テレビはその繰り返しで、結果的に競技や選手をスポイルするのです」(中略)

 

「平昌でつくられた熱気が、そのまま東京五輪への期待となって2020年に突入していく。テレビに利用されるアスリートが、今度は国家の威信の道具として利用されると考えると、陰鬱な気分になります。選手も競技者としての誇り、自尊心をしっかり持って、利用される側から脱しなくてはいけません」

 

「国家の威信の道具として利用される…」

 

オリンピックを目指す選手たちにとって、国からの育成費=補助金は欠かせません。

 

つまり彼らは、安倍晋三に逆らうことができないのです。

 

この構造は、戦前に行われた「戦争愛国プロパガンダ」にそっくりです。ファシズムは、楽しいことから忍び寄るものだということを、決して忘れないでください。

 

 

 

ここまで書いていけば、マスコミがなぜ、このニュースを流したのか、その意味がわかると思います。

 

「オリンピックは参加することに意義がある」

 

この言葉は、「ニッポン金メダル病」を戒めるために、使われてきたのかもしれませんね。

 

 

<おわり>