(NHKニュース 5月27日)
オバマ大統領の広島訪問、「歴史的」と世界から注目されたこの出来事、みなさんは、どんな思いでご覧になっただろう。
当初は、原爆資料館への訪問も、被爆者の方との面会もなく、献花と短いスピーチだけ、と報道されていた今回の訪問、ところが、ふたを開けると、短時間ながら、原爆資料館を訪問して記帳、17分にも及ぶスピーチ、そして被爆者の方との対話と、「歴史的」と呼ぶに十分な内容だったのではないだろうか。
「謝罪も核廃絶もないなんて、偽善だ!」
そう問う声もある。もちろん理解もできるし、否定もしない。
ただし、僕の考えは少し違う。
■ これは追悼式典
ちょっと、この画像を見てほしい。
これは昨年亡くなった、モーターヘッドのレミー・キルミスターの追悼式。
配置を見てほしい、檀上の中央には写真や献花、そして故人を偲ぶ様々な品物が置かれている。スピーチをする人は、壇上のサイドに置かれた台の前に立ち、参列者の方に向かってスピーチをする。
これが広島の配置、報道だとオバマ大統領が中心になっているので分かり難いが、こうしてみると、これが追悼式典だということがよくわかる。
日本のマスコミはオバマや安倍晋三、そして被爆者の方たちばかりを追っていて、本来、この式典の中心であるはずの慰霊碑を、ほとんど映像に収めていない。スピーチ台の前に陣取っているマスコミに対して、「オマエたちはクズだ!」と、ハッキリ言っておく。本当に愚かだ。
日本人の感覚からすると、追悼の言葉は慰霊碑に向かって話すのが一般的だが、アメリカでは参列者に向かって話す。だから、その内容も自ずと違ってくる。
日本の追悼は、「自分の思いの語りかけ」が中心だが、アメリカの追悼は、話し手と参列者による「他者との思いの共有」が中心になる。多くの参列者が思いを共有することが、感情を和らげ、記憶を深いものにする。
上の画像のようなアングルを見ると、僕たちは、ついつい、安倍晋三のマヌケな記者会見のように、政治的な成果や何かの結論を発表する場面だと思いがちだが、それは大きな間違いだ。まるで結婚式のスピーチで、会社の業績の話ばかりするオッサンみたいな、場違いなことになってしまう。
この場で重要な事は、思いの共有による、感情の癒しなのだ。
その意味で、オバマ大統領のスピーチは素晴らしいものだったと、僕は思う。この話は、次回にしっかりと書いてみたい。
■ アメリカ政府の謝罪はなくても
第二次世界大戦における、国家間の謝罪や賠償は、サンフランシスコ平和条約を締結した時に、すでに「手打ち済み」になっている。今になってアメリカが、国家として謝罪する必要は一切ない。
ところが、アメリカ政府はこの点を言わない。
これは僕の憶測だけど、どんな戦争にせよ、虐殺した側から、「その件はすでに解決済み」と言うことは、虐殺された側にとっては大変屈辱的で、理屈を超えた感情を惹起させ、問題をさらに複雑にさせてしまう。
これは日米関係にとって、大きなマイナスだ。だから「サンフランシスコ平和条約で~」と、アメリカ政府は言わないのではないだろうか…。この点、日本政府は学ぶ必要があると思う。
謝罪はなくても、原爆投下の是非については、両国の民間レベルで検証を重ね、最終的に、アメリカの世論や認識が「原爆投下は間違いだった」と変わることが、唯一の、そして最も望ましい解決策、この先、二度と核ミサイルのボタンを押させない、最大の抑止力になる。
アメリカの軍事政策は、アメリカ人にしか変えることができない。幸い、若年層から徐々に、アメリカの認識も変わりつつある。これは希望だと言っていいと思う。
そして僕たち日本人は、アメリカに原爆使用の是非を問う前に、「なぜ、原爆が使用されるまで、大日本帝国は降伏しなかったのか」を知るべきだ。大日本帝国の実態をスルーしたままでは、議論は永久に噛み合わない。
ひょっとしたら、僕たちは、アメリカ人よりも、大日本帝国の実態を知らない…、かもしれないだろう?
■ 核兵器を容認する、唯一の被爆国
核廃絶についても、日本政府は決して積極的ではない。
20世紀の冷戦時代、日本は「アメリカの核の傘」の下で、安全保障環境を維持してきた。それは紛れもない事実だ。
しかし1989年、ソ連の崩壊とともに冷戦体制は衰退、21世紀に入って、世界の安全保障は多極化の時代に入った。
それでもなお、日米同盟という不平等条約のもと、冷戦構造から軌道修正できない日本政府は、過度な中国敵視政策で、幻影の冷戦構造を演出し、今も「アメリカの核の傘」依存を継続している。
こうした日本政府の硬直化が、「世界で唯一の被爆国が、核廃絶を訴えない」という矛盾を世界に露呈し、嘲笑の的になっている。
自国の現状をスルーして、核廃絶できないオバマだけを「偽善だ!」というのは、あまりに無責任だとは思わないか?
僕たち日本人は、核兵器と安全保障について、自分たちで真剣に考える時期にきている。その反面、日本政府と政治家の「大日本帝国化」が進行していて、それでも、多くの国民は無関心のままだ。とても核兵器や安全保障について、自分たちで考えられる状況に、なっているとは思えない。
オバマ大統領は、核兵器の廃絶や、戦争の撲滅の難しさを語っていた。これはオバマにとって、政治的敗北かもしれない。
でも、僕はそんな発言に、とても共感している。
なぜなら、建国以来、絶えず戦争をし続けてきたアメリカでは、「戦争をする大統領」でいる方が、よっぽどラクなのだ。
<おわり>






