「ボンちゃん、ロック好きなんやって…?」
「あ、はい。」
「じゃ、これ、やるわ。聴いてみ。」
このバイト先で、僕は「ボンちゃん」と呼ばれていた。初めての飲食関係、僕は食器もまともに洗えないほど、何も知らない小僧だった。
「おまえ、そんなことも知らんて、ボンボンやな~。」
関西なまりの店長の、そんな一言から決まった呼び名だったが、その後、時々サボって一服してるのがバレたりして、いつの間にか「ボンクラのボンちゃん」の意味にもなっていた。
その店は地元では割と有名な、大きな喫茶店だった。
駅前の立地もよかったせいか、店は常に混んでいて、狭い厨房で働く僕たちは、常にフル回転だった。そこには独特の連係プレーが必要で、そのためには「ひとりが何でもやる」のが当たり前のような状態だった。
夏休みのバイト…、そんなつもりだった「ボンちゃん」は、皿洗いどころか、あれよあれよと仕込まれていく。今から30年以上の事、個人経営の喫茶店にはレシピもマニュアルない。すべて「教えてもらう」以外なかった。
「ヘタクソ!」「遅~い!」「やり直し~!」
散々言われた日々も、1週間を超えた頃、僕はすっかり一人前になっていた。オーダーを見て、周りを見て、自分が何をすべきか判断して、それをひとりで着実に実行する…、そんな感じが身に着いていた。
そんなある日、関西なまりの店長が、1本のテープをくれた。
曲はこれ。カッコいいです、大音量で!!
Tullamore dew - Phoenix / Dan Fogelberg 1979
おとぎ話のようなアルペジオ、不思議な響きがする。
序曲のような「Tullamore Dew」が終わる、アコースティック・ギターが掻き鳴らされる。リズムとリード・ギターが入ってくる、音楽が「オン」になる。このドライブ感…、「アメリカン・ロック」だ。
降り注ぐ太陽、乾いた大地、長い道のり、疾走するデカい車…。70年代の「アメリカン・ロック」には「夢」じゃなく、「Dream」がある。ここじゃない、どこかへ行けば、きっと何かある…、音楽の中に、そう思わせる何かがある。
当時、レッド・ツェッペリンやブラック・サバスしか知らない僕にとって、このDan Fogelbergは、少し先にある大人の世界。「ちょっと渋いの知ってるオレ」的な、ありがちな自己満足を得るには十分な音楽だった。
僕が大人になる過程に、はたしてマニュアルなんてあっただろうか?
紙に書いてある手順を読まされて、「その通りやってね。」なんて、僕の記憶には残っていない。いつも、新しいことは「誰かに教えてもらう」しかなくて、顔色をうかがい、文句を言われ、足りないところは自分で考えて、バタバタしているうちに、何となく「それっぽく」なってた気がする。
それは、とてもめんどくさい事、でも、そのおかげで僕のマインドは、Dan Fogelbergのアコースティック・ギターみたいに、いつも弾けていた。どこかに行けば、きっと何かある…、そんな気分でいられたのだ。
「なぁ、ボンちゃん、ナポリタンなんやけどな…。」
… ヤバい、ばれたか…。
僕の作ったナポリタンは、店長が教えてくれたものより、少し油っこくて味が濃い。僕は、自分の好みで、味を少し変えていたのだ。
「こっち(関東)の好みは、あんなんかな…?」
不思議と店長は怒らなかった。
マニュアルのない世界には、「考える余地」があった。
考えた先には、何か「もっといい事」があるかもしれない…。
だから僕たちは、「自分なりの努力」を厭わなかった。
今では「自分で判断するな」と言われるような事。
それが認められる、そういう時代だった。
<おわり>
(注)この時の「ボンちゃん」が「ボーンズ88」になったわけではありません…ので。

