(ANNnewsCH 6月22日)
こんにちは、ボーンズ88です。
「セクハラやじ」問題の第2回目、今回は「どうしてこんな発言が出るんだろう?」という事について考えてみたい。少し回りくどい説明になるかもしれない。
1.差別や主義主張は誰にでもある。
実は、日本は「差別大国」である。差別とは「個人の属性によって区別(主に排除や卑下)する」という事だ。個人の属性、年齢や性別、職業、収入、家族構成などで個人を判断することが当たり前の日本社会は、実は差別社会なのだ。
例えば、以前、職場のある上司は、「シングルマザーはトラブルが多い」と言いだし、書類を見ただけで会った事もない女性の採用に難色を示した。この場合、彼は明らかには「シングルマザー差別主義者」である。
これは少し極端な例かもしれないが、こういった「経験則からくる判断基準」を誰しもが多少なりとも持っていて、「人格の理解」よりも優先しているのが、僕たち日本人なのだ。
2.プライベイト
個人が頭の中で何を考えようと、それは個人の自由だ。また逆に、個人にはそういった、自由の領域がある、それが概念としてのプライベイトだ。
そしてもうひとつ重要なのは、プライベイトは個人だけでなく、「ある概念が共通で了解されている人々の領域」ということだ。
極端な例だが、「人間は生まれたままの姿で暮らすべきだ」という、所謂、「ヌーディスト」という人たちがいる。もちろん、これは彼らの主義主張に他ならない。
ヌーディストが一人、自分の部屋で裸で行動しても問題はない。また、パーティー会場やビーチなどで、同じ主義の人たちだけで集う場合にも、同様に問題は起こらない。このとき、そのパーティー会場やビーチは、ヌーディストたちにとってプライベイトな領域なのだ。
3.パブリック
ところが、ヌーディストが自分の主義主張に基づいて、裸のまま一般の街を歩き、買い物をし職場に行けば、必ず問題が生じる。一般の場所にいる人々には、彼らの主義主張が、必ずしも了解されてはいないからだ。
この境界がパブリック。
この時、重要な事を認識する必要がある。
パブリックの領域で、自らの主義主張に基づいて行動すると、それを賛同する人もいる反面、不快感を与えたり、他人を傷つけたり、更には紛争にまで発展する可能性が、必ずあるということなのだ。
4.日本人とパブリック
世の中には、「どんなに話し合っても理解しあえない」という事象が普通に存在する。それは主義主張にとどまらず、人種や民族だったり、宗教や宗派、世代間など様々だ。
そんな「理解しあえない人々」が、日常でトラブルなく共存するための共通の空間、それがパブリックである。
ところが、日本でパブリックと言ったら何だろう?
公立?大人数でのパーティー?学校や職場の行事?
僕たち日本人は概念も意味も考えず、やれプライベイトだのパブリックなどと騒いでいる、それもいい大人がだ、悲しいとは思わないか。
<③につづく>

