渋味と芳香
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お茶なら紅茶が好きだよ。
紅茶ならば、アールグレーだ。
あのベルガモットの香りが堪らん。
俺は濃ゆくて渋いのが好みだなぁ(´∀`)
ヘルシア緑茶もね
効能よりも、あの渋味が好き。
ペットボトルの緑茶の中では、最強の渋さだろ? アレは♪
そんな感じね
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"Change Of Seasons"/ A Sense Of Change/ Sieges Even
http://www.myspace.com/siegesevenfanpage
渋味と芳香
ねっとりと
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そりゃまぁ
不可抗力的に
脂っこい方かねぇ。
何が不可抗力なのかはさておき
脂分は必要かな。
それでなくても乾いてるオッサンだから(´∀`)
// 脳には糖分がイチバン //
って、某Lさんも言ってたが
俺は糖分補給しなくても脳みそ動くからなぁ。
むしろ、タバコとコーヒーがあれば頭はキリキリ回転する。
で、タバコとコーヒーとの相性がいいのは脂っこいものだったりw
敢えて脂っこいものを追い求めたりはしないけど
肉の脂身とか、普通に好きだ。
つーか、摂取した脂をちゃんと分解吸収できてるかってのは
俺的には健康のバロメーターの様なモン。
脂で胃がもたれたり、出るもんがアレな時は
自愛した方がいいかなぁとか思ったりする(´∀`)
まぁ、ケーキとか
甘い上に脂っこいから、胃が弱い人は気をつけた方がいいよなw
ってな訳で
俺は脂っこい方を選ぶわ☆
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"Youth"/ Metronomicon/ Counter-World Experience
http://www.myspace.com/counterworldexperience
ねっとりと
早熟
振り返ってみれば
幼いうちに
子供で居続けることを許されなかった。
産まれたばかりの野生動物が
すぐに立ち上がらなくてはいけない様に。

もちろん
外的要因はあったにしろ
そう決心したのは、幼かった俺自身なのだが。
「何故?」
を大人から撥ね付けられた俺は
答えを自分自身に求めた。
不用意な「何故?」は
自分自身を虐げる結果になったからだ。
だが
明確な答えが見つかる筈もない。
俺は年齢的にはまだまだ子供で
その論理は脆弱極まりないものだったからだ。
それでも
一歩
また一歩と
歩み続けた。
俺が一切の過去を捨てないのは
その全てを
「自分のチカラでもぎ取ってきた」
と、信じているからだ。
もちろん
一人きりで生きてきた
なんてことは言わない。
経済的なものは保証されていたから。
物理的な庇護は、受けていた。
ただ
人として生きるにはどうしたらいいのか
と云うコトは、自分のチカラで考えてきた。
本来、保護されるべき年齢の俺が
「何かを護ると云うのは、どう云うコトなのか」
と毎日の様に考えていた。
「俺は護られているのか?」
と云うことも。
俺は、大人と云う存在に
畏怖の念を抱いていた。
いや、憧れと言っても良い。
// 一刻も早く大人にならなければ //
と云う焦りがあった。
自分自身を護ることもままならなかったからだ。
一生懸命に
大人たちを観察した。
たくさんの本を読んだ。
たくさんの人々と会話をした。
そしてある時、気付いたんだ
自分が、既に大人であることに。
自分の脚で立っていたからだ。
経済的な自立と云うことじゃなくて。
そう
俺は既に「保護者」であったのだ。
「自我」と云う「人格」を護っていた。
俺の怒りが
外ではなく、自分に向くのは
自我に対する保護者であるが故。
愛情を持って、叱咤激励していたのだ。
何ものかを保護してこそ
人は「大人」になれるのである。
それが
まともな保護を受けなかった俺の結論。
で、早い時期に「大人」になった俺は
今ごろになって
手付かずで残しておいた「子供」の自分を引っ張り出してきて
大いに楽しんでいるのでありますよ
今なら素直に
「何故?」
と問えるかもしれないな (´∀`)
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"Call My Name"/ SPARKLE ~筋書き通りのスカイブルー~/ Garnet Crow
早熟
事実と真実
「事実と真実の違い」について。

主観によって(時間軸によってでも可)流動的なのは事実にすぎない。
一方、真実ってのは極めて客観的なものであり、
個人の評価で勝手にこねくり回されるような性質のものではない。
ある意味安心で、ある意味残酷なものではないのかな。
その「揺らぎの無さ」故に。
自分の都合、
またはその日の気分でクルクルひっくり返るような
場当たり的な価値観を「真実」と思い込んで
それに翻弄されるような生き方なのに「賢い」と勘違いしてる人も
確かに(たくさん)いる。
目をそらす、忘れ(た振りをす)る、場当たりな嘘をつく等の
特殊技能を持った人達は、ある意味、賢いのかもしれない。
まぁ正直なところ、そんなモンは賢いのではなく「小賢しい」と俺は思っているのだがね。
だって、「意図的健忘症」を「前向き」とか言われたくないんだもの。
事実ってのは「解釈のひとつ」だ。
だから、他の人から観れば嘘かもしれないし、
同じ確率で、そこには真実が含まれているのかもしれぬ。
でも、真実ってのは解釈の余地が無いものだ。
// 誰から観ても //「それは正にそれ」の筈なのだ。
ーーーーー
真実とは明白でシンプルなものであるが故、
ほとんどの人に理解可能であると思われるが、
理解力が極端に低い人もいるだろうし、
品性の問題で理解することを拒む人もいるだろう。
だから「誰でも」と言い切るのは明らかに語弊がある。
この場合の「誰でも」とは、
「真実とは何か?と云う問いについて真摯に向き合おうと思う人」
と云う前提が必要かも知れない。
ーーーーー
だから「私だけの真実」ってのは矛盾をはらんだ言葉なのだ。
「未だに誰も発見し得なかった真実を見つけた」
と言うのならば話は別だが、それでさえ「私だけのもの」では無いのだ。
何度も言うが、真実は客観的なものなのでね。
私だけの真実、ってのは概ね「私だけの既成事実」に過ぎない。
そんなモンに振り回されるのだけは御免だな。俺は
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"Of Fire, Wind & Wisdom"/ Spirit/ Eluveitie
http://www.myspace.com/eluveitie
事実と真実
