まぁ壊れかけだからね。腐りかけよりは無臭だけども☆
おとといから今日にかけて
10個ほどの記事をボツにした。
生々し過ぎたり
痛々し過ぎたり
ケダモノじみてたり
狂ってたり
バカ丸出しだったり
キャラ違いのクールさだったり
正義漢ぶってたり
その他諸々。
お蔵入り。
つーか消去。
言葉はともかく
写真達が可哀想なので、いつか使い回してあげよう。
なんてお優しいんだ、おれ。
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ベッドの下の怪物
[深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ](ニーチェ)
ふむ。
ちょっとばかり、
センサーの感度を下げよう。
あまりにも多くの脅威対象を認知すると
身動きが取れなくなる。
地図を脅威対象で塗り潰してしまうと
進むべき道が見つけられなくなる。
あれも怪しい、これも怪しい、ではいろんなものがすり減るだけだ。
本物の脅威もあるのはわかっているが、
いざとなれば、開き直って遭遇戦をおっぱじめりゃいいだけだ。
心配してもしょーがない。
本番に強いくせに、時にあれこれとやりすぎる。
自分の反射能力をもうちょっと信頼してやってもいい。
センサーの開放はある意味サービスだが
不用意にサービスをし続ければ、枯渇するのは自明の理だよな。
意味が無いなら絞った方がいい。
え?意味不明?
…奇遇だな。俺もだよ(´∀`)

photo by wiggin
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マッチポンプ
暴力を忌避する者が、
暴力を誘引すると云う矛盾が散見される。
暴力と云うのは現象だ。
エネルギーでは無い。
その現象を自発的に生み出し
他者へ振るう輩はもちろん暴力者である。
しかし、その現象を誘因する者も実は、
被暴力者ではなくて、暴力者だと云える。
そんな現象が起きる余地がない場面で
見事にそれを「発生」させてのけるのだから。
発生させた力を「己が身で被る」と云う立場的な問題のみなら
被暴力者であると云えるが、その被った力は何を契機に発生したか。
花火で火傷をする者の多くは
火傷と云う暴力を被った者であるが、
その火自体は、概ね自ら作りだしているのだ。
花火に「引火する」と云うことをしなければ、
花火は勝手に燃え上がったりはしないのだ。
火をはなたなければ、物が燃えたりはしないし
その火が自分に襲いかかってくることも普通は無い。
火を玩べば、必ず手痛いしっぺ返しをくらう。
そして「誰が火を点けたんだ?」と追求される羽目になる。
まぁ追求されたところで「痛い痛い」と喚くくらいしかないが。
世の中の被暴力は、是非とも非暴力者になっていただきたい。
暴力を誘因するようなことを止めれば、
望み通り暴力を忌避することが出来る筈だ。
まったく、馬鹿かよ。

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