ヤドリギ金子のブログ -849ページ目

金子光晴の言葉

「日本人の誇りなど、たいしたことではない。フランス人の誇りだって、中国人の誇りだって、そのとおりで、世界の国が、そんな誇りをめちゃめちゃにされたときでなければ、人間は平和を真剣に考えないのではないか」
「人間が国をしょってあがいているあいだ、平和などくるはずはなく、口先とはうらはらで、人間は、平和に耐えきれない動物なのではないか、とさえおもわれてくる」。

 朗読という表現へ・・・・②

「もともと人は大きく違うことにはおおらかです。大きく違うものには寛大なんです。目立たなく違う、小さい刺が刺さったように、それが気になってならない、チクチクさわるみたいなもので、違いが明確でない関係での違和感は根深い反発を起こします。」(金時鐘氏。以下、引用はすべて金時鐘氏)
関東大震災の折、何が起こったかは言うまでもない。この時「朝鮮人の識別に使われたのが【十五円五十銭】という発音だった」
 詩にとっての音韻は、それがストレートに感性に作用するがゆえに重要な要素である。音に乗せられることによって言葉はある種の楔のようなものとなる。詩における叙情と音は切っても切り離せない関係にある。
 そこで、最初の金時鐘氏の言葉。彼の朗読は、良くも悪しくも歴史の呪縛から逃れられない私に、過去の(残念ながら現在も?)反発を想起させ・反発の感覚をもたらすかもしれない不安定な?浮遊する?自分自身への違和感をももたらす。彼の朗読によって楔が打たれる。それは甘美な音楽ではなく、むしろ不協和音による感動(といってよいのだろうか?)。例えば、バルトークのカルテットの高揚感、あるいは、ウェーベルンの突然切り上げてしまうような深い緊張感を私にもたらす。
 濁音が濁らない言葉、連濁作用で濁るので母音と母音の間で清音が濁る言葉。
 朗々と歌おうとしても決して明るく完結できない、閉じてしまわない、よどみながら突き刺さる対象を求めるよう  に、それでいて控えめにさまよう言葉。

 どこまでもねじれていく言葉。
彼の朗読は武満徹が吃音のもつ魅力的な独特の「強さ」について、音楽の視点から述べていたことを思い出させる。
「音というのは、叙情の源流をなすものでありますが、人間関係で最も神経をさわらしたり、相手を峻別してしまうのは音なんです。」
「長年住んでいながら、どうも寒気をもよおすような発音をする」
 叙情の源であるから、それがゆえに私に断絶感をもたらすのだが、その感覚こそが、逆説的にも、決して安易に近づけない孤絶した美しさとなって私に迫ってくる。 

狭隘でアナクロなナショナリズムを超えるために

 以下参考までに、私の拙い意見よりはこちらの方が断然明確に整理されているので、二人の方(田中宏氏と樋口直人氏)の報告&論考の抜粋を紹介させていただきます。(アンダーラインは私です。)

田中氏の報告から
 日本で定住外国人の地方参政権運動が本格的に展開されてから、十余年になります。この間、参政権運動は裁判闘争をはじめ、各地域での民族差別撤廃運動、とりわけ公務員採用運動などとも連動して展開されてきました。
 1993 年9月には、大阪府の岸和田市議会が地方自治体として初めて定住外国人への地方選挙権の付与を政府に求める決議をし、今や1520 の自治体が決議するに至りました。そして1995 年2月、最高裁判所は、「憲法は、永住者など地方公共団体と緊密な関係を持つ外国人に、法律で地方選挙権を付与することを禁じているものではない」との判断を示したのです。
 1998 年10 月、野党の民主・公明両党が、共同で初めて永住外国人地方選挙権付与法案を国会に提出しました。99 年10 月、自民・自由・公明の3党連立政権が発足した際には、その政策協定に公明党の要望で地方参政権付与法を成立させることが盛り込まれ、与党の課題ともなりました。しかし、法案が4度も提案されましたが、自民党内の意見がまとまらないため、いまだ成立を見ていません。一部保守的政治家たちが地方参政権運動を抑止するために持ち出した「特別永住者の国籍取得特例法案」の出現も、参政権運動が高揚した証左と見ることもできます。国会において地方参政権法案が足踏みをつづけていた2002 年1月、滋賀県米原町は住民投票条例を制定し、初めて永住外国人の投票権を認めました。その後、住民投票において外国人に投票資格を認めた条例がすでに130 を超えており、外国籍住民は地域社会の構成員として認知されつつあります。
日本における外国人の地方参政権問題についての論点を三つばかり整理しておきます。
 第一は、参政権は「国民固有の権利」であって外国人にはおよそ無縁のものと考えがちですが、果たしてそうでしょうか?日本でも、2000 年の総選挙以降ようやく在外投票ができるようになりましたが、それは衆・参両院議員選挙に限られています(現在は、まだ各比例区のみ)。在外邦人は「日本国民」ではあっても「日本住民」ではないからです。すなわち、国政レベルの参政権は「国民」と結びつき、地方レベルのそれは「住民」と結びついています。前述の最高裁判決のもつ認識も、そのことを意味しています。
 第二は、対象となる外国人はどうあるべきかです。日本の国会に提出された法案はすべて「永住外国人」に限定されています。永住者数は2003 年末現在、約74 万人ですが、ほかに非永住者が約117 万人登録されています。そのうち就労が自由化されている外国人だけでも約52 万人に達しています。前述の「新党さきがけ」の法案要綱では「5年以上の居住者」となっていたように、より広い範囲について検討する必要があります。
 なお、在日コリアンを中心とする特別永住者には国籍取得特例法を制定して外国人の参政権問題を解消しようとする動きがありますが、その対象者は約47 万人であり、約27 万人に達する一般永住者は除外されてしまいます。しかも、特別永住者は年間約1万人ずつ減少していますが、一般永住者は年間約4万人増加しています。
 第三は、選挙権と被選挙権をめぐる問題です。新党さきがけと日本共産党の法案では被選挙権も含まれていたが、選挙権・被選挙権をめぐる問題については、まったく議論されていない。被選挙権については、首長と議会議員の二種類あることも含めて議論する必要があります。

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樋口直人氏の論考から

1 外国人参政権──何を問い直すのか?
 外国人参政権とは、何を変えて何を作り出すものなのか。日本帝国主義の清算なのか、多民族社会へのステップなのか。はたまた人権尊重や地方分権の流れなのか。これまでは、外国人参政権に対する賛成論と反対論が対峙し、相互の論拠に関して論争が繰り広げられてきた。だが、外国人参政権は憲法解釈と特定の権利への賛否にとどまる問題ではない。国民国家体制そのものを問い直すことで、今の世界に生きる人間がいくばくかの自由を獲得し、国民国家を超えていくための機会として考えるべきだろう。その意味で、「参政権への賛否」を問うことだけでは問題の本質はみえてこない。賛成論内部の差異に目を向け、それが国民国家体制をいかに変えうるのかを問う必要がある。そこで以下では、賛成論を複数の外国人参政権論として整理し、それぞれの立論における国民国家体制の位置づけを検討する。そのうえで、「地方市民権」という観点から国民国家を超える仕方を考えていきたい。
2 「参政権付与」をめぐる4つの論理
(1)「過去の国民」の権利──植民地支配の清算
 通常、「国民の権利」と参政権を結びつける議論は、外国人参政権への反対論として用いられる。しかし、「国民の権利」はすべて反対論にいきつくわけではない。「国民」の範囲を拡張することで、参政権賛成論にも転じうる。そこで生じるのは、「帝国」から植民地が独立することに伴い生じた矛盾を解消するための、「植民地整理型」の参政権付与である。
 この場合、旧植民地出身者は一般の定住外国人とは異なり、ある時期には「国民」だった存在として認識される。戦前日本に居住していた旧植民地出身者の場合、国籍選択権が認められず、一方的に日本国籍を剥奪されたことの補償として参政権が位置づけられる。その意味で、「過去の国民」としての個別的な権利といってよいだろう。こうした形での参政権は、イギリスやスペインなどでみられる。
(2)「将来の国民」の権利──永住市民権
 周知のように、ヨーロッパでは1970 年代から外国人参政権付与の動きが本格化しており、その有力な論拠となってきたのが、永住市民権(denizenship)である。ハンマーの整理にしたがえば、国民-外国人という二分法では現状に即した制度を作れない。各国で永住権を持つ移民が増加しているのを受けて、国民と一般外国人の中間に永住市民という地位を設ける必要がある。
 日本の文脈でこのモデルを提唱する近藤敦は、その根拠を憲法にある「将来の国民」という文言に求めている。すなわち、永住者は「将来の国民」であり日本の政治的決定に責任を負いうるから、永住者に参政権を認めるべきであるという。日本では、定住外国人という言葉がこれに近い意味で広く用いられる。しかし定住外国人は、一定期間以上(5年ないし3年)日本に居住した者を含みうる点で、「将来の国民」の権利に収まらない可能性を持つ。
(3)人としての権利──普遍的人権としての参政権
 これまでみてきた植民地主義の清算と永住市民権は、国籍と参政権を切り離して地方参政権の実現を考える。その点で、反対論が固執する「権利がほしければ帰化すればいい」という発想とは異なる。けれども、「過去の国民」と「将来の国民」というネーミングが端的に示すように、権利への資格を持つのはただの外国人より「国民」に近い存在でなければならない。そこでは、国民-特別な配慮を要する(国民に近い)外国人-そうでない外国人という序列が生じる。その点で、国民と参政権の結びつきから自由になったわけではなく、「国民国家をどう超えるか」という課題からすると不十分なものとなる。では、どのようにして国民と参政権の切り離しを行うのか。論理的には2つの方向性があるだろう。一方では、国家の枠を超えた人権──「人としての権利」に根拠を求める方向がある。ソイサルによると、個人が権利を持つのは、国家を超えたレベルで保障される普遍的人権を持っているからである。権利を直接保障するのは国家であるが、権利付与の対象となるのは国民だけでなく域内に居住するすべての人でなければならない。
 ソイサルやヤコブソンは、国民国家との結びつきが前提とされてきた従来の市民権論を批判し、普遍的人権に基づいた構成員資格が戦後の欧州で形成されてきたとする。このような考え方からすると、外国人の参政権は自己決定に不可欠な基本的人権(日本の場合は幸福追求権)として捉えられる。国家-領土内にいるすべての人間という関係に基づき、権利が発生するため、論理的には国民と国家の結びつきから自由になる。しかし日本では、江橋崇を除いてこうした議論を展開する者はおらず、影響力はほとんどない。
(4)住民としての権利──地方市民権
 欧米において参政権付与の主たる論拠とされてきたのは、上記3 つの市民権論である。しかし、日本の場合にはやや異なる文脈の参政権付与論が有力な位置を占めている。永住市民権や普遍的人権に依拠した議論がそれほどの現実性を持ち得ない一方で、地方市民権とでも呼ぶべき権利に依拠した議論が有力な言説として浮上してきた。地方市民権の特徴は、国家との関係については判断を保留し、「住民の権利」として参政権資格が発生する点である。消極的にではあるが、地方市民権は国民と参政権の結びつきをいったん棚上げするがゆえに、行為者間の相違を「判断停止」する公分母としての役割を果たしてきた。では誰と誰の公分母となってきたのか。
 第1 は、憲法解釈を行う裁判所や憲法学者の見解である。「外国人の地方選挙参加の可否については、(憲法)93 条2 項はなにごとも言明していないというべきである」(長尾一絋)。このような憲法学の代表的な解釈は、永住者等への地方参政権付与が違憲にはあたらないとした1995 年の最高裁判決とも符合する。この最高裁判決の傍論は、地方市民権論として積極的な議論を打ち出したわけではない。けれども、「住民」が必ずしも国民に限定されないことを指摘した点で、国民国家の枠組みを相対化する可能性を持つ。
 第2 の行為者は、在日コリアンである。地方市民権論は、要求主体たる在日コリアン側においても歓迎される議論であった。イギリスにおけるコモンウェルス出身者の処遇をみる限りでは、「過去の国民」たる旧植民地出身者に対して国政参政権の付与が検討されてもおかしくない。しかし、一部の論者を除けば当の在日コリアン側において、国政参政権に対して距離をおくことが多い。この背景には、もちろん憲法解釈上の判断があるだろう。けれども、「地方は日本で、国政は韓国で」という国籍保持国とのつながりを重視する見解や、日本への同化を警戒する見解がさらに底流にはある。この場合、地方レベルでは国籍/国民と参政権を切り離す一方、国政レベルでは国籍と参政権が不可分なものと想定される。
 第3 は、地方自治体である。自治体による外国人地方参政権を求める決議や意見書は、最高裁判決と並んで地方参政権付与の有力な論拠とされてきた。外国人は地域社会に生活基盤をおき、義務を果たす重要な構成員なのだから、住民としての参政権を認めるべきである。これが地方議会による外国人地方参政権付与の論旨であり、一方では生活実感に基づく素朴な議論とも解釈しうる。他方、国民社会ではなく地域社会との結びつきに権利の源泉を見出す点で、生活実感が国民と国家の結びつきを超えていくラディカルな思想の表明ともいえるだろう。
3 地方市民権の可能性
 外国人参政権問題は、決して外国人=マイノリティにどのような権利を与えるかという「マイノリティの問題」ではない。国民化を不断に進めるマジョリティ側のグロテスクな側面をどう克服するかという問題であり、国民化を強制する国民国家システムそのものを再考する好機でもある。その意味で、外国人参政権は国民国家体制の呪縛からマジョリティ側を解放するという、反対論者が持つ懸念とはまったく逆の効果がもたらされるべきだろう。
 普遍的人権と地方市民権は、国民国家モデルそのものを問い直しうる。そして、普遍的人権よりは地方市民権のほうが現実的な基盤を持つ。地方市民権に関しては、国民の権利から普遍的人権まですべての議論が「賛成派」であるという共通点を持つからである。このように、地方市民権はさまざまな立場を含みうるがゆえに、参政権付与をめぐる論議の合流点となりえた。戦術的には、地方市民権のこうした側面を積極的に活用していくべきだろう。しかし、公分母になるという強みがある一方で、地方市民権を積極的に理論化せず消極的な待避所としてきたことは、その論理的な可能性を狭めてきたのではないか。
 最高裁判決は、地方参政権の行使主体たる住民が、国民に限定されないことを指摘したものの、きわめて消極的に「禁止されていない」ことを打ち出すにとどまった。一方、地方自治体による参政権付与決議は、「素朴な実感」からみて国民国家体制と現実が不整合をきたしていることを示唆する。その点で、下から国民と国家の結びつきを再考させる意義を持つ。そうした地方市民権を強化していく方向として、次の2 つがある。
 第1 に、国家と地方の関係を再考する方向が考えられる。かつてダニエル・ベルが、「国家は大きな問題を解決するには小さすぎ、小さな問題を解決するには大きすぎる」と言ったように、国家はもはや問題解決に最適な政治的単位ではない。サッセンは、世界都市のように国家ではなく地方が直接世界経済に結びつく時代にあって、都市を単位とした地方市民権の必要性を指摘する。そして地方分権の流れは、(全面的に賛成ではないが)国家に固有の機能を厳選し、そうでないものを地方に委譲し、地方の独立性を強化する方向を含む。このとき、国籍とも国民とも切り離された住民自治が、地方に固有の原理として採用される。
 第2 は段階論とも言えるもので、まず地方のレベルで国家と国民の結びつきを解体することから始まる。それを橋頭堡として、国家と国民ではなく国家と住民の関係として、市民権を普遍的人権の議論につなげていくことがありえるだろう。