『小松川叙景』曲解2 | ヤドリギ金子のブログ

『小松川叙景』曲解2

  (ー七月ー)

 

声帯を切除された白猫が

ケージのなかからこちらを見ていた

転居の挨拶に笑ってこたえた主人の後ろ

どうですか ここは好いところでしょう

わたしの部屋のまえで死んでいる蝉

のひしゃげた翅

音もなく踏み潰した革靴は黒光りして

最期にはみな最小の単位だ

 

   *

 

海より低い地上に木々は萌え立ち

南方から渡来した鳥たちがあくびする

沈みきった軟弱地盤を

有害産業廃棄物がかためている

住棟は限りなく深い底まで根を張り

無慈悲な高さを誇った

あまりにも安全なここゼロメートル

短い睡眠の裡に

墜落してゆくリアリズムの夢ゆめ

 

(私は、あまり好きではないこともあり、猫を飼ったことはない。依存性のない、あるいは本性的に〈自由な〉猫は、それがゆえに世話をすることが、〈忠実な〉犬と比較するならばの話であるが、面倒臭くないので、飼いやすい。しかし、私には世話をする自信がまるでないこともあり、飼うつもりは毛頭ない。ちなみに、2017年度は犬が115万9000匹,猫が6万3000匹殺処分されている。なんと1日平均3348匹だ。また、猫の交通事故死は、東京都だけで1年間に2万4000頭である。ところで、唐突だが、思い出したことがある。かつての教え子と話していた。家庭的に複雑な事情を抱え、親としての役割を放棄している毒親に苦しんでいる女子生徒だった。彼女がふともらした一言が忘れられない。「先生、私、猫になりたい! どうすれば猫になれるかなぁ・・・」)

 ところで、無知を曝け出すようなのだが、「猫の舌を抜く」ということがあるのか?

あるとすれば、なぜ抜くのか? 猫とは女性の喩? そう曲解したいくらい、このクニはどうしようもなく停滞し、衰亡しようとしていると、私は最近感じている。負のスパイラルに突入しているのか?

「Cat got your tongue」(舌を抜いた猫は)口を割らない

この言い回しは1800年代半ばのアメリカとイギリスで流行していた。実際猫に舌を抜かれたなら、一言も発することはできないだろうことは想像できる。話さない理由を尋ねた時に、この言い回しを使用して「うまい」とされ、流行したようだ。

(Has the) cat got your tongue?《口語》 どうして黙りこんでいるんだい 《★【用法】 恐怖・臆病のために黙っている(通例子供の)相手にいう》単純にそう解すると「舌をぬく」がすんなり内奥に入ってくる。なぜなら、現代のこのクニの女性たちはいまだに「舌をぬ」かれかかったままであるからだ。さらに、「ケージのなか」=男性権力システムに縛られている。そのことをさらに暗示しているのが、「主人の後ろ」なのであろう。常に男の後ろに控えさせられている女。その主人は「笑ってこたえ」るのである。(こんな風に曲解してしまうと「そんな単純なもんじゃあねえんだよ・・・」と言って詩人は怒るであろうか? )

 しかし、白猫を背後にして笑っている主人の「どうですか ここは好いところでしょう」が、その背後の白猫の存在によって欺瞞にしか聞こえない。そして、その欺瞞を、「好いところ」のはずがない「部屋」を象徴するように「部屋のまえで死んでいる蝉」「のひしゃげた翅」と続く。

 第一連の最後の二行が、鮮明だ。あの蝉の薄く脆い透き通った翅を「踏み潰した」時の感覚が私に蘇る。靴底から伝わってくるかすかなかすかな翅の感触、聞こえるか聞こえないかのカサカサした音。この音=声を、声なき声を私も平然と何度ともなく聞いては無視し、聞いてはただ通り過ぎ、聞いては聴かないふりをしている。そして、

蝉の翅のように、我々は(女性たちは) 連帯を阻まれるように「最期にはみな最小の単位」になって、散り散りになり踏みつけられる?

 後半。曲解するにも、私の想像力では追いつかない。前半同様に、メトニミー(換喩)が多用されているような気がするが・・・追いつかない。

「海より低い地上」とはどこだろう、具体的な場所も含まれるのだろうか? 例えば、安易に諫早湾の「ギロチン」などを私は連想してしまうが・・・。

 「木々は萌え立ち」とあるが、いったいどんな「木々」が「萌え立」っているのだろうか?「南方から渡来した鳥たち」とは? 干潟を生息地にしている渡り鳥のことだろうか?「あくびする」のだから何か理由がなければならいが、その理由とは何だろう?

「沈みきった軟弱地盤」とは一行目の「海より低い地上」を指すのだろう。埋立地だから「軟弱地盤」なのであり、「低い地上」なのであろう。

 「有害産業廃棄物がかためている」、これは大都市沿岸のゴミによって埋め立てられた土地、現在メタンガス等を噴出させて問題になっている某所のような土地を示しているのかもしれない。いやいや、これを喩であるとするなら、このクニの腐れ切った政治も含めた風土全体を皮肉っているのかもしれない。

 「住棟は限りなく深い底まで根を張り/無慈悲な高さを誇った」埋立地に林立する高層マンションなどを指すのか? 「あまりにも安全なここゼロメートル」とは、逆説的な言い回し、つまり「あまりにも危険すぎるここゼロメートル」を反転させているのか。

「短い睡眠の裡に」。睡眠は「短い」のであり、ゆったりとした心地よいものではあるはずがない。それゆえ、「墜落してゆくリアリズムの夢ゆめ」となるのだろう。しかし、「夢」が「リアリズム」であるはずはないのだが、「墜落してゆく」からリアルになるのか? 「夢ゆめ」が〈ゆめゆめ〉=「決して〜ではない」を意味する副詞であるとするなら、どんな動詞に付着していくのだろうか? 

 いや、「リアリズム」はありえないのだ。かろうじてありえるのは〈リアリズムもどき〉であり、それは資本によって巧みに脚色され、あらゆる抵抗力をそぎ落とし、無力化してしまうチープな夢物語をさもリアルであるかのように語り、結局の所は興奮させるだけさせておいて、膨大な回数の比較に誘い、安易な絶望をさせ、不眠ばかりを誘う。こうした状況は、シニシズムを通り越して、ポピュリズム,ファシズムの温床となりつつある。私はこう書きながら、甘い断定的絶望を連ねることで、無意味な喜びに浸っている。バカなことだ、とバカが書く、バカバカしいココ。