石川善助『亜寒帯』と戯れる12
海の娼婦
そいつは身がさりさりに荒れてゐた。
縮れた髪は鯣を燻す匂ひがした。
そいつは太い凹凸の齦(はぐき)から
磯風のやうな呼吸(いき)をした。
──海には雨が降ってゐた。
──心は寒く海に通ふ。
水に落ちる燈火の赤い螺旋状(スピラアル)・・・・・・
──心は寒く海に通ふ。
──海には風が吹いてゐた。
そいつは温(ぬく)く白粉くさく眠ってゐた。
汗ばむ胸は暗礁のやうに固かった。
そいつの職業は酒を飲み、漁夫らを抱いた。
そいつと俺らは海から少しの銭を得た。
「さりさり」とは縄をなうときの擬音語なのであるが、その言葉が娼婦の荒れた身体を示すために使用されている。土地に根付いた言葉を土地に根付いた、つまりは東北の「娼婦」であることをあえて示すために、この擬音語を使用したのであろうか?
冒頭から「海の娼婦」が社会の底辺に位置する悲惨な境遇に置かれていることを示すように詩化されている。娼婦を「そいつ」という突き放すような指示代名詞で指しているが、「俺ら」と併記する最後の一行もあって、〈同じ〉港で、海とともに生きる労働者として、一見突き放しに見えてしまう「そいつは」は詩人の方に引き寄せられている。その共感を予告・補足するように、二連目、四連目に〈暗い〉風景描写が置かれている。ただ三連目にこの詩篇の荒んだ暗さを、まるでしっかりと支えるように、美しい光が描かれている。現実を忘れさせるような、この三連目の輝きが際立っている。しかし、最後の連においては、現実の悲惨に戻るように、同時に漁に携わる労働者=漁夫と「娼婦」が描かれる。三連目を軸にシンメトリー(人物描写→風景描写→全体を美しい光で照らす詩句、言わばこの詩篇の核にあたる一行→風景描写→人物描写)を意識した詩篇として構成されており、実に巧みな構成であると思う。