石川善助『亜寒帯』と戯れる8 | ヤドリギ金子のブログ

石川善助『亜寒帯』と戯れる8

   無言貿易

厨房の汚物を波に抛げた。

海は呑む、笑って呑む。

俺ら、夕暮網を巻くとき、

海は精悍な魚(やつ)を置いてゆく。

 

 表題(の意味)を素通りして、一行目二行目に入ってしまう。

船員=漁師が「汚物を波に抛げた」、その「汚物」を「海が呑」んだ。あっさりと吸い込むように、「汚物」であるにもかかわらず、沈んで行ってあっさりと跡形もなく雲散霧消していく様子を「笑って」と擬人化して表現しているのだろうか?あらゆるものを「呑」みこんでしまって平気な、不気味に巨大な海。そんな海なのだが、「俺ら」漁師に対しては、まるで「汚物」の代償のように、「精悍な魚(やつ)を置いてゆく」、贈与する。ここで、なぜ「魚」に(やつ)とルビを振っているのだろうか? 主体を漁師に設定しているので、

そうしたのか?いや、海が〈ほら、上等なやつをあげるから持って行ってみろ〉と言わんばかりに、「魚(やつ)」を「置いてゆく」からだろうか?

 表題の「無言貿易」とは、人間と海とのそれなのだろう。以下の説明から推察していただければ幸いだ。

表題にある「無言貿易」とは「一般的には、交易をする双方がなるべく接触をせずに交互に品物を置き、双方ともに相手の品物に満足したときに取引が成立する。交易の行なわれる場は中立地点であるか、中立性を保持するために神聖な場所が選ばれる。言語が異なるもの同士の交易という解釈をされる場合があるが、サンドイッチ諸島での例のように言葉が通じる場合にも行なわれるため、要点は「沈黙」ではなく「物理的接近の忌避」とする解釈もある。」さらには、「新井白石が『蝦夷志』に記録しているアイヌ同士の交易も沈黙交易とされ、道東アイヌは米、塩、酒、綿布など、千島アイヌはラッコの皮などを交換に用いた。アイヌによる沈黙交易は、この他に樺太アイヌとツングース系民族・山丹人(山丹交易)、アイヌとオホーツク人・ニヴフなどの間にも行われている。14世紀の中国で熊夢祥(中国語版)が書いた『析津志(中国語版)』にもその記録がある。アイヌ伝説に登場する小人・コロポックルの起源が千島アイヌの沈黙交易にあるとし、千島アイヌの沈黙交易は疱瘡をはじめとする疫病の侵入を防ぐために行

 

われたという説もある」(ウィキペディア)

最後に、安易な連想をコピペさせていただく。私はかの有名な青木繁の「海の幸」を詩篇から連想した。