石川善助『亜寒帯』と戯れる2 | ヤドリギ金子のブログ

石川善助『亜寒帯』と戯れる2

  缶詰工場内景

鉄板(ぶりき)でかすれた指先に、

古い祖先の族系(つながり)が噴く、

血……

母上、缶にあなたの遠い顔が映る。

一つ一つに寂しくあなたは笑ってゐる。

 

すぐに目に飛び込んでくるのは二つのルビ。「移北」におけるクラン(clan)などは、吉田一穂のよく知られた諸々の作品、例えば有名な詩篇「母」における距離(ディスタンスdistance)や最弱音(ピアニッシモPianissimo)などの影響が感じられるのだが、この詩篇でのルビ、「鉄板」に「ぶりき」、「族系」に「つながり」の二つは、英語に置き換えることなく、カナ読みにさせることで漢語を柔らかいイメージにさせようとしている。「ぶりき」と読ませた方が油まみれ汗まみれでかすり傷の絶えない労働を、何よりもその労働によって「かすれた指先」をリアルに想起させ、決して解放されることなく暗い工場に留まらざるを得ないまま、搾取されていく下層労働者層とその仲間を温かい血で繋がることを暗示するような柔らかいルビ「つながり」によって示しつつ、連綿と受け継がれる労働の過酷さは次の三連目の一行「血……」によって示している。固い「鉄板」からわずかに滴る血は鮮明だ。三連までは俯瞰してとらえたような絵画的情景だが、四連目からはその過酷な景色の中にいる主人公=労働者の呟きに移行する。

 血ではなく、いや血に加え重ねるように、「缶」に主人公の母=「あなた」の顔が映る。ブリキ?の缶詰だろうから、そこには遠い故郷の母の顔の幻影が映る。鮮明な描写だ。手に取り上げるたびごと缶の一つ一つに、その幻影が映り、主人公の若い労働者に「寂しく」「笑ってゐる」。ただ「笑っている」のではない、とうてい会うことのできない、労働から解放されることのない息子のことを思うから、ただ「寂しく」「笑」う=微笑むしかないのだ。