昔々のノートから | ヤドリギ金子のブログ

昔々のノートから

「詩句はそれ自体政治ではない。だがそれが現実の神話化された磁場から生成するものである以上、ひとつの政治化となる。・・・・・

詩句が敵だからこそ、奴を強くすべきなのである。奴に、つまり詩句の「私」に、書く私と存分にたたかってもらわねばならぬ。ブラハの小鴉のしたように、世界と自分との戦いでは、やはり世界を支援しなければならない。」(平出隆「多方通行路」より)

「政治に対して文学が無力なのは、文学がみずから政治を疎外することによって、政治との対決を通じてそうなるのである。政治に遊離したものは、文学ではない。政治において自己の影を見、その影を破却することによって、云いかえれば無力を自覚することによって、文学は文学となるのである。・・・・
政治と文学の関係は、従属関係や、相関関係ではない。政治に迎合し、あるいは政治を白眼視するものは、文学ではない。真の文学とは、政治において自己の影を破却することである。いわば政治と文学の関係は、矛盾的自己同一の関係である。・・・
文学の生まれる根元の場は、常に政治に取り巻かれていなければならぬ。それは、文学の花を咲かせるための苛烈な自然条件である。ひよわな花は育たぬが、秀勁な花は長い生命を得る。」 (『魯迅』竹内好)