岡真理「小説 その十月の朝に」より | ヤドリギ金子のブログ

岡真理「小説 その十月の朝に」より

「日本でも各地で連日のように即時停戦を求めるデモが行われていた。東京では多いときは1000人を超える参加者があるという。ガザで人々が今、置かれている、信じがたい暴力の現実にSNSを通して日々触れる若者たちは、街頭デモをはじめ、自分たちにできる形で多様なアクションを起こしていた。

とは言え、ワシントンで、パリで、ロンドンで、パレスチナの旗を掲げた何万、ときに何十万もの人々の群れが大河となって通りを埋め尽くすことを思うと、クリスマス・イルミネーションを背景にカップルが肩を寄せ合って自撮りしているのどかな東京の光景は、第二次世界大戦後最悪の大量殺戮が今まさに、この同じ地上で生起しているという現実から何万光年も隔たって見えた。

ふいにレイチェル・コリーの言葉がよみがえった。

第二次インティファーダさなかの2003年、イスラエル軍占領下で蹂躙されるパレスチナ人の人権を守るためにガザへ赴いた、この二十三歳のアメリカ人の女子大生は、ラファの街で活動中、パレスチナ人の住宅を破壊しようとするイスラエル軍のブルドーザーを制止せんとその前に立ちはだかり、轢殺されたのだった。ガザのレジスタンスに拉致されたアメリカ人の人質の解放には無常の喜びを示すアメリカ政府は、イスラエル軍に殺された自国市民に対しては実に冷淡だった。

亡くなる前にガザから家族に送った一連のメールのなかで、レイチェルは書いていた。ガザの子どもたちも、外の世界がガザのようではないということを頭では分かっている。でも、この子たちがもし、実際にアメリカにやって来て、ガザとはぜんぜん別の世界があることを知ったら、「そうしたらこの子たちは、世界を許すことができるでしょうか」。

ガザの人々の首を真綿で締めるように生殺しにする完全封鎖が始まる前の話だ。

今回の攻撃開始直後からガザに入り、四十三日間にわたり負傷者の治療にあたったパレスチナ系英国人の整形外科医、ガッサーン・アブーシッタによれば、十一月半ばの時点ですでに900人もの子供たちが脚や腕の切断を余儀なくされたという。「この子たちは生涯、切断されたからだとともに生きるのです。からだを切断することとなったこの戦争の記憶、世界がこの戦争と共犯したという記憶、世界がこの戦争に沈黙していたという記憶とともに、です

医師のその言葉に、レイチェル・コリーの問いが反響(こだま)する。

                                                   (『現代思想』2月号)