大澤聡氏の論説(「意見が嫌われる時代の言論」世界1月号)より | ヤドリギ金子のブログ

大澤聡氏の論説(「意見が嫌われる時代の言論」世界1月号)より

「読まずにひたすら書く。速読時代の「新聞を読む動物」は同時に「書く動物」でもある。もちろん、これは書いたものを発表できる立場にあるごく一部の人間にのみあてはまりました(もっとも投稿や文章講座、同人雑誌のブームによって「書く動物」の裾野はひろがりつつありました)。ひるがえって現代はどうでしょうか。一部という限定はとっぱらわれ、誰もかれも「終日物を書いて生活する人間」と化している。正確には「打って生活」ですが。

スマホの普及によって、遠隔で話す行為が全面化するかと思いきや、人びとはかつてなく「書く」ようになった。

Xユーザーたちは、自分のかんがえを代弁してくれる言葉や、ためになりそうな言葉が流れてくれば、文脈を度外視してシェアします。読まずにシェア。お気に入りのユーザーをせっせとフォローしては、自分のタイムラインに独自の「全体性」をカスタマイズする。」

「見たい情報が手軽に見られるようなパーソナライズされた画面では、ようするに見たい情報以外は見ることができず、想定外の出会いが消えて成長の機会を失うから、再帰的にノイズや偶然性へひらかれるべく、あえてアナログ的な回路を・・・・といったメディア・リテラシー教育の優等生的な解答はほとんど効力をもてずにいます。」

「知識人たちが時間を費やす大論争はないけれど、万人にアリーナがひらかれ、数の動員による論破を目指すバトルなら日夜いたる場所で勃発しています。横入りと即レスの常時接続がそれをもたらす。なかなかに絶望的な光景です。」