『障子のある家』へー尾形亀之助の詩について113ー
小さな庭
もはや夕暮れ近い頃である
一日中雨が降つてゐた
泣いてゐる松の木であつた
「一日中雨が降つてゐた」のだから、雨に打たれる「松の木」から、雨粒がとめどもなく落ちている。日が翳かかり、薄暗くなりつつある大気に立つ「松の木」が、雨粒という涙をパラパラ落としている、ように詩人には見えた。「泣いてゐる」ように見えるのだから、詩人自身の心が投影していると解釈すれば哀しいはずなのであるが、投影しているようには、私には読み取れない。「松の木」は比喩として「泣いてゐる」のではなく、まさに人格を持って「泣いてゐる」のだ。その様子は哀しさというより、ただただ規則的に涙を落とすだけであるがゆえに、私には夕暮れを背景にしていることもあり、深い寂しさを感じさせる。