『障子のある家』へー尾形亀之助の詩について109ー | ヤドリギ金子のブログ

『障子のある家』へー尾形亀之助の詩について109ー

 

 

街からの帰りに

花屋の店で私は花を買つてゐた

 

花屋は美しかつた

 

私は原の端を通つて手に赤い花を持つて家へ帰つた

 

 

 まず最初に気になるのは一連目の二行目、「私は花を買つてゐた」。どうして、買った、ではなく「買つてゐた」と、あえて?「ゐた」としたのだろうか?買った、「美しかった」、「帰った」としたほうが、自然に流れていく。しかし、自然であるということは、つまらないということでもある。一連目において「買つてゐた」とすることで、主体=「私」に距離感を持たせることで

詩人は、このなんでもないような短い詩全体に遠景の物語性を持たせようとしているのかもしれない。遠くに淡く浮かんでいるような、花を買う行動の風景。まるでフィルムが回って、暗い部屋において映写されているような。たった四行なのに、懐かしさをこちらにもたらす効果が、この「私は花を買つてゐた」で決定づけられているように思う。加えて、最後の行の「原の端を通つて」が、その効果を増幅している。