年始から、大震災に航空機事故に、お正月どころじゃない大変な出来事が起きていますね。
海外から能登に里帰りなさっているブロ友さんもいらして、安否が心配でなかなかブログを書く気持ちにもなれなかったのですが、大変な中、ブログを更新してくださってホッとしました。
そんな、お正月気分も吹き飛んだ今年のお正月。
毎年、1月1日には、実家にやってくる弟夫婦を見送ったあと、両親と近くのわりと有名なお寺まで初詣に行きます。
去年の破魔矢を返納して、新しい破魔矢と干支の土鈴を買うのが毎年の習慣。
ここでは、忘れもしない私が小学6年生だった初詣の時、中学受験を控えていた私のために、両親がお布施を納めて、護摩を焚いていただいたんです。
本殿に上がって、お経をあげていただいて、とっても厳かな気分になったことを今でも覚えています。
他にも何か棒のようなもの(?)に願いを書いて納めたり、ありとあらゆるご利益のありそうなことをやった記憶。
でも結果は、第一志望にも第二志望にも落ちて、かろうじて滑り止めに引っかかった始末
そんな思い出があったので、大学入試を控えていた高校3年生の時の初詣には行きませんでした。
(志望校もキリスト教系だったし)
そうしたら無事に第一志望の大学に合格できたので、私にはご利益が謎のお寺ではあるのですが(笑)、家族の健康と安全をお守りくださっている感謝の気持ちを持って、参拝してきました。
子供たちもこのお寺が好きで、夏の暑い中、毎年お参りに行っています。
そして、2日は百貨店まで初売りに出かけ、母のお買い物のお付き合い。
私もユニクロに行って、マリメッコ・コラボの品を手に入れて満足
最近はデパートより、ユニクロとか無印でテンションが上がるようになってしまいました
そうしたら、連日のハードなスケジュールについに母がダウンしてしまい、寝込んでしまって
なので、今日は私が1人で買い出しに出かけたんですが、近所にライフというスーパーがあるものの、なんと3が日はずっとお休みなんですね!
スーパーで働かれている方は、主婦の方も多いと思うので、三が日お休みだと助かるだろうなぁ。
日本もだんだん欧米的なライフスタイルになってきてるのかもしれませんね。
しかし、母の体調が悪いので、年賀状を出してきてくれと頼まれたのはいいんですが、なんと文面と宛名も全部書いてって言われたんです
実は、スイスの義母からも、私の母に誕生日のお祝いや新年のお祝いのメール(英語)をいただくのですが、その返信も私が書かされてます。
母の英語だと思ってもらえるように、できるだけ簡潔に、短い文章で書くように心がけて
私が代筆を頼まれた年賀状も、義妹(弟のお嫁さん)のご実家に宛てたもので、すっかり親戚付き合いの代筆屋と化しています。
母は「文章は書かなくていいから、宛名だけ書いて」と言うのですが、それも失礼な気がするので、簡単な一言も私が勝手に書き添えました。
しかし、直筆メッセージなしの印刷された年賀状をただ送り合うのって、謎の風習ですよね……。
以前、ブロ友さんが、「今年こそお会いしたいですね」という年賀状の定型文に疑問を呈しておられて、なるほどなーと思ったのですが、そんなメッセージすらもないハガキって、もらった側も嬉しいんでしょうか……。
ちなみに、私自身は「今年こそお会いしたいですね」って書いちゃうタイプですが、本当にそう思っている人にしか書きません。
ご無沙汰してしまっているけれど、その方とお会いしたい気持ちは本物なんです〜!って、ブロ友さんに向けた言い訳です(笑)。
ちなみに、母がそのハガキを選ぶときも一緒にいたのですが、私が「これは? これは?」と母好みそうな年賀状を提案しても、「ステキだけれど、もっとちゃんとしたのじゃないと」って、お堅いハガキしか選ばない母。
わざわざ伊東屋さんと鳩居堂にも行ったのに、どこにでも売ってそうなごくごく普通の年賀ハガキを選ぶなんてつまらない〜!
年賀状の柄の選択にも個性を出さないなんて、もはや出したって事実だけが重要な世界なんだなぁ……。
こういう、定番柄の印刷した文言だけの年賀状って、すごく日本らしい風習(形式が大切)だな〜って思いました。