義両親が元気にやってきました飛び出すハート


義両親がやってくる日も朝から雪が降り積もっていて、電車で8時間の道のりなので、「ちゃんと走るのかな?」って運行状況をチェック。


でも、ちゃんと走ってました新幹線


(内心、遅れがあったら、この日の夜は会わずに済むかな?って、ちょっと期待してたグラサン


なので、予定通りに駅で義両親を出迎えて、駅の近くのレストランに。


しかし、引っ越してからゲストルームが無くなったので、ホテルに泊まってくれるだけでかなり楽になりました飛び出すハート


レストランはかなり賑やかで(忘年会的なグループも多かった!)、義両親の話が聞き取りづらいし、私の話もよく伝わらないみたい💦


しかし、80歳を優に過ぎているのに(確か今86歳)、とっても元気な義両親。


特に義母は若々しくて、10才以上年下の私の母より若くて元気に見えますキラキラ


レストランでは例の私の福利厚生が使えたので、義両親にもご馳走ができて、さらに残高も減らすことができました飛び出すハート



そして翌日は我が家で食事を。


義両親は毎回、隣州に住む長年の友人を訪ねるのですが、その帰りに我が家に立ち寄りました。


その方は第二次世界大戦後、食糧難だったオーストリアから、スイスの義母の実家に疎開をしていた方(オーストリア人)なんです。


当時、赤十字がオーストリアの子供たちをスイスに送っていて、義母の実家が受け入れたことで生まれた友情。


当時はまだ子供だった義母とその方はずっと友情を育んでいて、義両親はウィーンに来る度に隣州に住むその方に会いに行きます。


(しかし、義父がいつもこの方の背景を説明するときに、「私たち(=スイス人って意味?)が彼女をauffütternしたんだ」って言うんですが、fütternって動物に餌をやるときの表現で、auffütternには飢えた人に食事を与えるっていう意味もあるんですが、感じ悪いなって毎回引っかかります。


そもそも受け入れてたのは義母の実家で、義父は関係ないのにね無気力


さて、前回はたまたまその日が学校が休みの日だったので、うちの子たちもその方と会うのに同行したんです。


その時も、電車とバスの接続がうまくいかず(電車が遅延してもバスは接続待ちをしないので💦)、バス停に向かっている最中に乗る予定のバスが走り過ぎようとしていたんだって。


そうしたら義母がそのバスをバス停でもないところで止めて、無事に予定のバスに乗れたらしい爆笑


ちなみに私は一緒の時じゃなかったのですが、義母には日本滞在中も、発車しようとしている新幹線を外から叩いて、新幹線を止めた(出発を妨げた💦)武勇伝もあります。


その時も発車しかけていた新幹線のドアが開き、無事に乗れたという義母。


(一緒の時じゃなくて本当に良かった真顔


そして、この日もやはり接続がうまくいかず、歩いて目的地まで向かっていた義両親。


そうしたらなんと、お会いする予定だった方のお子さんが偶然車で義両親の横を通りかかり、車に乗せていただけたのだとかびっくり


今回もまたミラクルを起こした義母。


他にも今回、スイスからウィーンに来る時に、食堂車で50ユーロを出してお会計をしてお釣りをもらったらしいんです。


なのにウェイターさんは、義母がカウンターに出した50ユーロをしまい忘れたまま、どこかに行ってしまったのだって。


そして、しばらくして帰ってきたウェイターさんはカウンターに置かれたままの50ユーロ札を見て、「これ、あなたのですか?」って、義母に返してくれようとしたらしい爆笑


(もちろん受け取りませんでしたが)


あと、ウィーンの中央駅で落としたまま気づいていなかった補聴器を、すぐに見知らぬ方が拾って義母に教えてくださったり、ってこともあったのだとか。


「とにかくミラクル続きなのよ〜!」って、いつも話題が豊富な義母爆笑


これからしばらく珍道中が続きそうな予感です。


写真は下の子が焼いた赤鼻のトナカイマフィン。


お砂糖細工の目が買えなくて、クマにしか見えませんが、義母に喜んでもらえましたニコニコ