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スパークル ジャーニー

人生は『きらめき続ける旅』。自由・気ままに、思った事を書き綴ります。
大好きなミュージシャンの曲名でもあります。

TVドラマ考察 「寺内貫太郎一家」(1974年)

 

 

 

TVドラマが面白くなくなったのはいつ頃だろうか。

 

少なくとも、私が20代の頃(1990年代)はまだ面白いTVドラマが数多く存在していた。

 

2000年代は…1990年代に比べると凡庸な作品が増えたが、その中でも大傑作なドラマがいくつかあった。

(「やまとなでしこ」、「のだめカンタービレ」、「鹿男あおによし」、「ハゲタカ」等)

 

2010年代…この頃からだんだん怪しくなってくる。

「JIN -仁-」、「あまちゃん」、「リーガル・ハイ」は面白かったんだけど。

「逃げ恥」は今となっては(私としては)凡庸な作品かな。

 

2020年代…少なくとも私が共感を得るような作品は激減。殺伐とした非日常的な内容のドラマが増えてきた上に、演者&演出の稚拙化、脚本の劣化が著しくなってくる。

 

 

NHKの朝ドラや大河ドラマも品格や重厚感といった要素がすっかりなくなった。

蓋を開けてみれば、イデオロギーの匂いがプンプン。

現代とは異なる時代の物語にも関わらず、演出が今現在、演者も今の人間(現代人の性格)を演じているため、違和感を感じる。

昔の話でも、昔にはなかった“コンプライアンス“が意識された作りになっているため、ちゃんちゃらおかしくて見ていられない。

 

民放は仕方ないとしても、NHKのスポンサーは視聴料を払っている私たち一般庶民だ。

他の誰に気を使っているのか知らないが、まずはスポンサーである私たち一般庶民が忖度なしで楽しめるような作品を作るのが道理ではないのか。

所詮TVなど娯楽に過ぎないのだから、楽しめなければ存在価値などない。

 

 

 

いっそのこと、思いっきり昔のドラマでも観てみるか。

 

ふと、そう思って、白羽の矢が立ったのが「寺内貫太郎一家」(1974年)だ。

幸いにも、この作品は現在、廉価版DVDが発売されており、予想以上に安価で全話を買い揃える事が出来た。

 

 

私が5歳の頃のTVドラマだ。

もちろん、当時の記憶など全くない。

 

脚本は、昭和の一般庶民の暮らしを描かせたらピカイチの故向田邦子さん。

演出はこれまた名作クリエイターの故久世光彦さん。

 

この黄金コンビが作ったドラマなら、外す事はないだろう。

そう思って観始めた。

 

 

 

画質の悪さ&音声の悪さは致し方ない。

地上波はアナログ放送のみ。

デジタルの“デ”の字もまだない時代だ。

 

しかし、内容はとても秀逸だった。

特別な事件は何も起きないが、血の通った人間同士の生きざま(やり取り)が確かにここには存在していた。

「昭和40年代ラストイヤーはこんな感じだったか…(そんな気がする)」と想像力を働かせながら、物語に没頭する事が出来た。

 

笑いあり、涙あり、義理人情あり、悲しみや怒りに加えて、やりきれない想いもあり。

全39話。

五感を揺さぶられる素晴らしいホームドラマだった。

 

 

主人公の寺内貫太郎(小林亜星)は口下手で純情だが、喧嘩っ早い。

義理人情に厚く、典型的な江戸っ子気質だ。

それゆえ、毎回のように激しい乱闘シーンがある。

しかし、そこが見せ場なのではなく(見せ場でもあるのだが 笑)、肝心なのは、譲れないものがある者同士が正面からぶつかり合い、意見や主張を真っ向から言い合う所だ。

そして、今では許されない(?)乱闘シーンがあって、物語が進んでいく。

 

今の若い人の感覚からすると、あのシーンは暴力なのかもしれない。

もしかしたらDVに該当するのかもしれない。

しかし、これはドラマの中の寺内家の中で起こった騒動であって、他の誰かに向けて大っぴらにしている訳ではない。

この家の中で起こった騒動は、この家の中で解決していくだけの話なのだ。

この物語に登場する人物は皆そこを(自然と)わきまえている。

決して警察に通報したり、弁護士に相談しに行くような不逞な輩は一人もいない。

(現代のように)頭に来たから、ウザイ奴は包丁で刺してみようか、というような狂人も一人もいない。

というか、「それだけはやったら(人として)おしまいだよ」という事が暗黙の了解となっている。

 

そして、各話の終盤では、あの激しい乱闘シーンが嘘だったかのように、ほっこりと、たまにホロリとさせられるシーンがある。

あぁ、雨降って地固まる、とはまさにこの事なんだなぁ…と感慨深い気持ちになる。

 

あの時代を経験した私からすると、たしかに昭和はあのような感じだったように思う。

まるで自分の家の出来事を(時間差で)見せられているみたいで、とても不思議な気持ちになった。

当時の私は実家が嫌いだったが、昭和の家庭は大体皆あのような感じだった、という事なのだろう。

 

大正ラストイヤー生まれのうちの親父にとって「青春」という時代はなく、10代後半で帝国陸軍軍人として大東亜戦争に赴いた。

その戦争で、満州国において戦闘中に負傷し、そのまま帰国(気がついたらそうなっていたらしい)。

心に大きな傷を負い、傷痍軍人として余生を過ごした。

 

「寺内貫太郎一家」にも大東亜戦時中のエピソードが出て来る。

あの話では不覚にも涙ぐんでしまった私だが、それはやはり、うちの親父の話をリアルに聞いて育った世代だからではないかと思う。

 

1970年代は戦争がまだ自分事(身内事)だった時代。

しかし、妻の里子(加藤治子)は懐かしそうに当時流行った歌(軍歌)を歌うのである。

そして、つられて貫太郎(小林亜星)も歌う。

彼らにとってはつらい経験であると同時に、若かりし頃を過ごした(≒青春)時代でもあったのだ。

そこに「軍歌を楽しそうに歌ってはいけない」という(現代の)イデオロギーは存在しない。

 

親父も軍歌をたまに歌っていた。

母もまた軍歌や当時流行った唱歌などを楽しそうに歌っていた。

歌ってはいけない歌など存在しない。してはいけない。

(現代のドラマだったら、当時のドラマを作るにしても、軍歌を楽しく歌うシーンなどご法度だろう)

戦前生まれの日本人にとっては、戦前から戦後にかけては「敗戦」があっただけで、その他は何も変わっていない。

ただ戦争に負けた、というだけの話。

変わったのは、戦中~戦後生まれの日本人の方なのだろう。

 

そして、あの戦争から時が経つにつれて、日本人は更に大きく変貌を遂げた。

それが良いか悪いかは、各々の判断に委ねるとして…。

 

 

このドラマの最大の見どころであり、素晴らしい所は、今でいう「コンプライアンス」が皆無な所である。

それは1970年代が大らかな時代だった、という事に帰結する。

おばあちゃん(樹木希林)が、長女(梶芽衣子)が好きになった男性(藤竜也)の連れ子のお〇〇ち〇を触っても、“セクハラ“とは全く思わない。どこか微笑ましく感じてしまう。

貫太郎と息子の周平(西城秀樹)が部屋を破壊するほどの大喧嘩をしても、翌日には家族皆ケロっとしている。

なぜなら、喧嘩程度では揺るがない家族の絆がしっかりと存在しているからだ。

 

私が最近のTVドラマを観ていて気になるのは、家族の絆がとても希薄な点だ。

主役の若者が、まるで一人で生まれて、一人で生きているような感じで描かれている。

悩んでも相談する人も少なく、孤独(LONELY)に暮らしているのである。

 

人付き合いが鬱陶しいから?

それは多少は理解できる。

しかし、人は人と繋がっていなければ、人間ではいられない生き物だ。

直接的には繋がらなくてもスマートホンで繋がっていれば良い?

それが、そううまくいかないのが人間なのである。

 

更に、これだけ生活が便利になって、昔よりも時間が持てるようになったにも関わらず、極端にムダを嫌うようになった。

というか、そもそも、人生にムダなものなど存在するのだろうか?

全て(あなたが)望んだから、今、目の前にあるのではないのか?

“タイパ“だの、”コスパ“だの、極端な効率重視で暮らしていく中で、大切なものまで“ムダなもの”として切り捨ててしまわなければ良いのだが…。

 

1970年代と比べると、私たちの生活は大変便利になった。

しかし、それと引き換えに失ったものも数多く存在するのだと思う。

 

生活が便利になった事と、人間として豊かで成熟したかどうかという点においては、人にもよるが、総体的にはさほど関係がないと思っている。

人それぞれの自律心や生き方、価値観などで異なってくるからだ。

52年前の人たちと比べると、私たちは便利な情報(TOOLも含む)をたくさん持っているのかもしれないが、果たして知識や知恵も同じように体得しているのかと考えたら、それは何とも言い難い。

 

私は、脚本家の倉本聰さんが好んで使われる「貧幸」という言葉に全てが集約されているような気がするのである。

現代人の私たちは「物質至上主義」に囚われすぎてしまって、幸せを感じる心を失くしてしまったのではないか。

どれだけお金があっても、どれだけ欲しいものを手に入れても、この心がなければ、決して幸せを感じる事はない。

自分が恵まれているにも関わらず、それがわからず、常に他人の良い所を欲しがり、羨ましく感じ、もっともっと欲しがるだけの「餓鬼」と化してしまえば、行きつく先は見えている。

 

この「貧幸」という要素が「寺内貫太郎一家」というドラマにもたくさん詰まっている。

そこに気づけた自分は、幸せを感じる心を失ってはいなかったんだなと思って、少し安堵した。

 

もう二度と戻る事のない昭和のあの時代。

今と比べれば生活は貧しかったのかもしれないが、皆、心豊かで、輝かしかった時代であると同時に、日本人が真の日本人であった最後の時代だったのかもしれない。

 

 

「寺内貫太郎一家」はこれから何度も見返す事だろう。

そして、その度に泣き、笑い、悲しみ、怒る、といった喜怒哀楽の感情を爆発させると思う。

 

 

 

思いっきり昔のTVドラマを観てみたら「温故知新」(=私の座右の銘)、人として大切なものを思い出させてくれた。

 

故向田邦子さま

故久世光彦さま

演者の皆さま

 

放送から52年も経って、ようやく全話観る事が出来ました。

 

感動をありがとうございました。

とても素敵なドラマと出逢えた事を嬉しく思います。

前日、🚲️トレーニングの最中、
御庄の『ファムズキッチンいわくに』の近くで、左足首に何かが絡まったような気がしました。

ん?蔦か何かが絡まったかな?

と思って、徐行しながら、あたりを見回してみると、絡まるようなものは何もありません。

まさか...

蛇?
猿?

それらも見当たりません。

気持ち悪っ‼️💦

そう思いながら、錦橋方面へ走っていくと、なんと小雨が降り始めました。
(天気予報ではこの日は降らないという事だった)

しかも、その雨はだんだんと本降りに☂️

先ほどの件も何だか気持ち悪く、この日はもう🚲️走るな、という事なのか…と思い、ここで大人しく帰路に着きました。



何だかもやもやしたので、午後は大野浦の大頭神社へ🚙参拝しました。


大きな岩を流れ落ちてくる滝の水に両方の足首を浸して、お祓いの言葉を唱えました。

あたりは蒸し暑かったですが、滝の水は冷たくて気持ちが良かったです。


その後、拝殿にて参拝🙏

🚙帰る頃には少しスッキリしましたが、あの左足首の奇妙な感覚は一体何だったのでしょう…。

今年も倉敷のお義父さんから、葡萄🍇が届きました。

 

 

いつもありがとうございます🎶😊

感謝しています✨️✨️

 

 

 

お義父さんは90歳をとうに超えていますが、まだ現役で葡萄を作り続けています。

 

健康に気をつけながら、元気に長生きしてほしいです。

 

施設の母に🍇食べさせてあげる事が出来ない事が残念ですが、家族で美味しくいただきたいと思います。