読書のすすめ 49 | スパークル ジャーニー

スパークル ジャーニー

人生は『きらめき続ける旅』。自由・気ままに、思った事を書き綴ります。
大好きなミュージシャンの曲名でもあります。

キラキラ読書のすすめキラキラ

 

 

本日、紹介させていただくのは、

 

永松茂久さんの著書「人生に迷ったら知覧へ行け -流されずに生きる勇気と覚悟-」です。

 

 

 

私は、永松茂久さんの事は全く知りませんでした。

 

「人は話し方が9割」の著者だよ、と妻に言われ、「あっ、そうなの?」と(苦笑)

 

 

 

 

鹿児島県南九州市知覧町-

 

ここは私にとって特別な場所です。

 

 

尊敬していた祖父と祖母がほぼ同時期に亡くなり、若かった祖父と祖母が生きていた時代の空気を感じたくて、戦争の遺構巡りを始めたのが2002年のこと。

 

広島市の原爆資料館

戦時中は「毒ガスの島」として、地図から消された竹原市の大久野島(今は「うさぎの島」としての方が有名)

特攻兵器「回天」の基地があった周南市大津島

周防大島の陸奥記念館

地元:平生町の「回天」資料館

 

などを巡りました。

 

 

そして、「死ぬまでに一度は訪れたい」と思っていた、鹿児島県知覧町の特攻平和会館を訪れようと思ったのは2003年のこと。

 

一大決心でした。

 

なんせ、山口県からでも鹿児島県は遠かったので…。

 

 

私が20代の頃、勤労青少年ホームのイベントで知り合った岡山市の読書好きの女友達Mさんは鹿児島出身者で、「知覧に行った事がないなら、一度は行った方が良いよ。人生観が変わるから」と言わたのがずっと心に残っていました。

 

「いつか行かなくては」

 

その機会が2003年に巡ってきたのでした。

 

 

この年、初めて知覧に行った日のことは、実はあまり覚えていません。

 

鹿児島市内からのドライブがとても長く感じられたのと、資料館に入ったのがお昼過ぎだったのですが、あっという間に夕刻(閉館時間)になったということだけ覚えています。

 

資料館を出る時、さまざまな感情がごちゃまぜになり、涙で顔がぐちゃぐちゃだったこと。

 

特攻隊員が使ったとされる三角兵舎がなぜか懐かしく感じられた事が不思議でした。

 

 

女友達Mに言われた通りでした。

 

それまでの自分の生き方を見直し、「まっとうに生きよう」と思ったのは知覧を訪れたから…と言っても過言ではありません。

 

 

その後、知覧へは2006年、2012年、2013年と計4回、訪れています。

 

その度に、毎回、気持ちが奮い立たされます。

 

平和の大切さを痛感させられますが、それ以上に「この方々が託した今の日本で、自分はどう生きていくのか」という事を猛烈に考えさせられるのです。

 

この本は、その時の気持ちを想起させてくれる良書です。

 

「世界一美しいラブレター」と言われた特攻隊員:穴澤利夫氏の遺書も読む事が出来ます。

 

特攻隊員の遺書と、富屋食堂で特攻隊員を実の孫のようにかわいがった鳥濱トメさんの絆の物語が大半を占めますが、終盤は著者の永松さんがここを訪れた事によって変わった人生観やご自身がされている諸活動の話などが掲載されています。

 

 

「平和教育」のブログでも書きましたが、ヒロシマ・ナガサキだけでなく、子供たちに平和教育をするのであれば、ぜひこの知覧町も入れてほしいものです。

 

平和の大切さを学ぶのは結構な事ですが、それと同様に「やりたい事がたくさんあったにも関わらず、何一つ出来ないまま、戦闘で命を散らさざるをえなかった先人たちが私たちに託した未来の日本で、私は(あなたは)どう生きていくのか」を考える事は非常に意義深いと思うからです。

 

戦争を美化する訳ではありません。

 

決して美化してはいけません。

 

しかし、

80年以上前に将来の日本を憂い、自己犠牲のために亡くなられた先人たちに敬意を示す事は、戦争を美化する事ではないと思います。

 

私たちは先人たちから受け取ったバトンをいかにして次世代に渡していくのか」

 

それについて考える機会を持つ事は、個人主義が蔓延る現代において、とても大切な事なのではないかと感じています。

 

 

 

 

来年あたり、また知覧に行きたくなりました。

 

 

 

来月は終戦から80年目の日がやって来ます。

 

映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」と「ホタル」をまた観直したくなりました。

 

 

 

 

この本で初めて知ったのですが、鳥濱トメさんのお孫さんで、特攻隊員について全国で講演活動をされていた鳥濱明久さん、ご病気で2021年に亡くなられていたのですね。

 

2012年に一度だけ、私は「ホタル館富屋食堂」で明久さんとお会いした記憶があります。

とても紳士的な方でした。

 

残念です。。。

 

明久さんのご冥福を心よりお祈りいたします。