神に対する戦争 | 聖書とイェシュアの教え

聖書とイェシュアの教え

イエスはユダヤ教のラビでした。
ではイエスの教えを守って生きるとはどう言う事なのでしょう?
ご一緒に学んでみませんか?

 

神に対する戦争世界は何故イスラエル、シオニズム、そしてイェシュアの弟子を嫌うのか?

by Daniel Thomas Lancaster

 

 

                                                               AI artwork by Joi Saikawa

 

 

 イェシュアは言われました。「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます」(マタイの福音書10:22)イェシュアが「わたしの名のために」と言われたのは、「イスラエルのために」と言われたのと同じ事です。なぜなら、イスラエルのメシア、ユダヤの王はその民と切り離せないからです。それ故、「イスラエルの名のために、あなたはすべての人に憎まれる 」と言っても良いでしょう。

 

 2023年12月に発表された、ハーバード・ハリス世論調査と呼ばれる調査によると、18歳から24歳のアメリカの成人の60%が、10月7日のハマスによるイスラエル攻撃を正当化し、67%がユダヤ人を抑圧者と見なし、51%がイスラエル対パレスチナ紛争に対する解決策は 「イスラエル国家を消滅させ、イスラエルの国土をハマスとパレスチナ人に与えること 」だと考えています。これは若い世代による、アメリカ世論の驚くべき方向転換を現わしています。もしこの傾向が続けば、ジェネレーションZ (1997年頃から2012年頃に生まれた世代) が政治を支配した時に何が起こるか想像してみてください。アメリカにおけるパワーバランスは、イスラエル支持からイスラエル非難へ、ユダヤ人支持から反ユダヤ主義へと移行するでしょう。どうしてこんな事になったのでしょうか?

 

 この反イスラエル主義への変化は、私たちの世俗文化が過去数十年の間に経験した、より広い分野にわたる道徳の逆転変化の徴候の一つにすぎません。世俗文化が不道徳だと言っているのではありません。むしろ、今日の文化はかつてないほど「道徳」を重視していますが、それは善を悪と呼び、悪を善と呼ぶ倒錯した道徳です。この新しい「道徳」の最も基本的で疑われることのない社会規範であり、真理のひとつは、イスラエル国家は悪の体現であり、すべての思考力のある、理性的で道徳的な人々によって非難されなければならないというものです。この新しい「道徳」の原則は、進歩的な政治評論家や著名人の間に歯止めなく広がり、中東に関するメディア報道を恥ずかしげもなく支配するまでになりました。

 

 この「道徳」を掲げた意見は大学だけでなく、国連からも発信されています。国連は一貫して、人権侵害の疑いでイスラエルを非難する一方で、ロシア、中国、トルコ、アフリカや中東の腐敗した政府などの、実際の人権侵害国家には何の処置も取っていません。イランとパキスタンは国連の影で勝ち誇って笑っています。これらすべての人権侵害国家は、欧米への憎悪とイスラエルへの糾弾という2つの共通目的で一致しています。

 

 イスラエルに対するイスラム教徒の見方を理解するのは難しいことではありません。私たちと同じように、彼らは終末論的でメシアニックな世界観を持っています。彼らは未来のユートピア的世界秩序を待ち望んでいます。イスラム教は、イスラエルと西洋に対する聖戦勝利だけが、その未来のユートピアを招き入れることが出来ると信じています。

 

 さらに、第二次世界大戦中、ヒトラーがアラブ世界に反ユダヤ宣伝を浸透させ、それが今日でも影響を残している事はよく知られています。しかし、だからといって、ハーバード大学のキャンパスで、学生たちが、ヒトラーの「最終的解決」を引き合いに出して、「他に解決策はない!インティファーダ革命!インティファーダ!インティファーダ!インティファーダをグローバル化せよ!」と叫んでデモをする説明にはなりません。

 

 9.11からわずか22年後に、ユダヤ人を世界から根絶やしにしようとしたヒトラーを公然と賛美し、過去の共産主義革命の英雄を賞賛し、オサマ・ビンラディンのような人物を寵愛するような若者がアメリカに出現した理由は何なのでしょうか?

 

First Fruits Of Zion Messiah Magazine

 

 

インティファーダ(اِنْتِفَاضَة, ʾintifāḍa(h))とは、アラビア語の動詞(派生形第8形)اِنْتَفَضَ(ʾintafaḍa、インタファダ、(物や人が)震える・(木などが)揺れ(て上にある物が落ち)る、目覚める・体を起こす、蜂起する・反乱を起こす)の動名詞に関連する名詞で、「揺れ、震え」「覚醒、目覚め」「蜂起、反乱」の意。現代では主に民衆蜂起の意味で用いられている。(Wikipedia)