最近、流行ったゲームソフトに、「モンハン」があります。

「モンスターハンター」の略ですが、電車の中でPSPをやっている人の多くが、ゲームの中で狩人を操り、モンスターと戦っています。

 

ファミレスに足を運ぶと、高校生が4人集まって、みんなで額を寄せ合いながら、PSPとにらめっこしています。

 

このゲーム、今までのゲームとひと味違うところは、「一人の世界に没入する」のではなく、「友人と協力して、モンスターを倒す」ということができる点です。

 

友達を誘って、みんなで協力して戦おうとしている姿は、かつての公園で行われていた三角ベースや、草サッカーを思い出さずにはおれません。

 

さらに、「Facebook」「LINE」「Instagram」などのSNSが大変な人気を博しています。

これも、「つながり」を重視しているように思えてなりません。

 

ITが、新たなコミュニケーションの場を創造し、非連続から連続への体験を求めている人々の需要を満たしたのではないでしょうか。

 

デジタルなものを通して、アナログな人間の感情、感動といった一つの「体験」を共有する。

 

SNSは、そんなつながりと体験に飢えた私たちの心を、アナログな共感で埋めていくもののように思うのです。

 

私は、現代を読み解くキーワードは「非連続から連続へ」ではないかと考えています。

 

この言葉は、フランスの思想家バタイユに見ることができますが、根源的な欲求が、様々な面に現れているのではないでしょうか。

 

以下、少し難しい文章ですが、引用したいと思います。

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私たちは非連続の存在であり、理解できない運命のなかで孤独に死んでゆく個体であるが、しかし失われた連続性への郷愁をもっているのだ。

私たちは、偶然の個体性、死ぬべき個体性に釘づけにされているという、私たち人間の置かれている立場に耐えられないのである。

この死ぬべき固体の持続に不安にみちた望みをいだくと同時に、私たちは、すべてをふたたび存在に結びつける、最初の連続性への強迫観念をも有している。

 

ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』(ちくま学芸文庫)渋澤龍彦訳)

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「デジタル」の基本は、点と棒の二進法であり、まさに「非連続」です。

 

SNSは、その最先端のデジタルを用いた非連続性を通して、感情の連続性を伝えることのできる、大変面白い媒体と思わずにはおれません。