今日は9年目。出来るのは忘れないことくらい。昨年、何とか福島に行く事が出来た。私の友人は3.11の原発事故後、8カ所の避難生活を転々として2年前に敷地を除染し、傷んだ家をリフォームして一人で帰還した。彼の妻は避難した長男家族が住む茨城県で孫と母のお世話をしながら、月の何日かは実家に帰って来るが去年は植えた南瓜、里芋、トウモロコシは全て猪に食べられ全滅した。私も見に行ったが畑のひまわりが折れ曲がり何本も倒れておりそこには猪の足跡が残っていた。
「芽が育ち今から成長して行く一番いい所を全部食べるの」「6,7年も留守の間に里で生まれた猪は山に戻れないの。里の味を覚えた猪はもう山へ戻れなくなっている。」「毎日世話をする人間の匂いのする処には現れず、時々しか世話しない私のようなところを良く知っているの」猪だけでなく猿、鳥、ハクビシン、アライグマも里の農作物を喰い荒らしているらしい。立入禁止が6,7年続いた結果、人の住む里と動物の住む山との中間点であった里山の境界が無くなり福一原発事故は動物と人間の関係にも大きな影響を与えている。
小高は8年が経っても水田はなく見渡す限りに死んだ田圃がこれでもかという位に広がっている。かつて田圃であったと認識出来るのは畔により区切られた風景によるものである。
米を作りたくても作ることが出来ず、作っても売ることの出来ない百姓の命である先祖伝来の田畑が目の前にあり、帰還してもそれを毎日毎日見て暮らさざるを得ない展望のない日々は百姓の心を蝕んで行く。一年一年田圃で無くなって行く様を8年経ても成すすべもなく見せつけられる辛さは年を重ねる度に諦めと絶望が深くなって行くに違いない。
事故から9年経っても米が作れない。農民の生活史は今も奪われたままだ。この死んでいる田圃の風景を見た時、原発事故で苦しむ彼の心の闇をほんの僅かかも知れないが理解出来る気がした。70歳を超えていまも稲作再開の希みもなく年老いて行く、そしてあの豊穣としていた水田が朽ち果てて行く、時間だけが過ぎて行く日々。農業の跡継ぎもいない。原発事故が人の生活と人生をどれほど奪い去ったのか今も解決していない現実がここにもある。

