NYT Nov. 25, 2020

Reports of Hong Kong’s Death Are Greatly Exaggerated

By Yi-Zheng Lian

 

香港の民主主義は死んだ。それは半分だけ真実だ。

 

北京が資格をはく奪すると決めたことで、それに抗議する立法会の民主派議員4人がすべて辞任した。しかし、立法会の民主派は香港の植民地時代から、香港返還後に民主的制度を維持するためにあった。政府はそれを無視してきたし、その体制内改革の性格には、特に雨傘革命で強い批判が生じていた。

 

雨傘革命後の普通選挙要求は、もっと若い世代の民主化運動である。彼らは指導者や組織を持たず、北京は認めない新しい民主主義を求めてきた。北京は激しく弾圧し、国家安全法の導入と、多くの活動家やメディア、ジャーナリスト、知識人の拘束、弾圧を行った。もはや香港立法会は、人民代表大会と同じ、権力者たちのための承認機関になった。

 

それはつねに中華帝国の行動計画であった。辺境における反抗的な人びとを、征服する前に、徐々に吸収した。2047年まで「一国二制度」を約束したのも、香港のシステムを継ぎ目のない中華システムに組み込むためだ。かつての王朝が数世紀をかけて行ったことを、中国共産党はわずか数十年で行った。

 

しかし、権威主義体制の弾圧は抵抗を強めるだろう。これまでの弾圧がそうであった。

 

確かに、香港民主化運動の前衛は完全に解体された。それは他の権威主義体制がそうであったような地下組織に変わるだろう。1939-90年のポーランド、1945-87年の国民党独裁の台湾。香港の地下組織も我慢の時を過ごす。そして多くの海外支部が国際的な支持を求める。

 

香港の新しい民主派は、小さいが、中華帝国の拡大に反対する闘いの前線として、決定的に重要だ。たとえ中国が大砲をもって攻撃しても、彼らは生き残る。