PS Oct 14, 2020

What the US Election Is Really About

ERIC POSNER

 

来月のアメリカの選挙は、政策に関するものでも、ドナルド・トランプ大統領に関するものでもない。アメリカの憲法システムを問うものだ。たとえトランプが再選されても、独裁者にはならないだろう。真の問題は、中央政府がこの国で果たす役割である。

 

トランプ主義は、ワシントンDCの無責任で利己的な政治エリートとみなす人々への、怒りから生まれた、一連のポピュリズムの中で最新のものである。この物語は独立前から始まった。アメリカ独立革命は、遠く離れた、利己的な、ロンドンのエリートに対する反乱であり、それは中央政府の権力に対する論争に引き継がれた。

 

批判者は、新しい憲法の創設は、この国を支配するエリートを創り、それゆえ、植民地を独立国家(州)にして勝ち取った主権を否定した、と論じた。それは直ちに、エリートに挑戦するポピュリズムを生んだ。連邦主義エリートを転覆しようとした、1800年、ジェファーソン・デモクラシー、その後、ジェファーソンのエリートを転覆した、1829年、ジャクソニアン・デモクラシーである。

 

どちらも、アメリカ独立革命を率いたエリートたちは、自治政府をもたらすという大衆への約束を破った、という信念によるものだった。解決策は、政治権力を大衆に戻すこと、フランチャイズや民主主義を拡大し(州の裁判権)、中央政府の権力を制限することだ。

 

ポピュリズムの波は、奴隷制と南北戦争の論争に勢いを奪われたが、19世紀後半に復活した。それは南部と中西部の農民が中心となった。彼らは、2大政党が彼らを無視し、銀行や鉄道会社が彼らを搾取している、と確信していた。政治システム全体を腐敗していると攻撃するジャクソンは彼らのヒーローであり、人民党を結成して要求を実現しようとした。

 

次の大きな波は1930年代の大不況で現れた。ルイジアナ州知事、上院議員になったヒューイ・ロングのような政治家たちが、富者から貧者への再分配を約束して権力を得た。

 

最後の波は1960年代、バリー・ゴールドウォーターが共和党の大統領候補になったときだ。連邦政府(「大きな政府」)はアメリカの諸問題のすべてに責任がある、と主張した。同じ反エリート主義は、反人種差別、反帝国、反冷戦、反ベトナム介入の左派にもあった。

 

ポピュリズムの主張は単純で、強力だった。状況の悪化は、中央政府とそれを動かすエリートのせいだった。連邦政府が標的になった。それは遠くにあって、官僚たちの顔は見えないからだ。

 

ポピュリスト運動はすべて、その内部矛盾で燃え尽きた。ポピュリストはエリートを憎むが、彼ら自身のエリートを権力に送り込むしか、支配権を握ることは不可能だった。政治的な前進を目指して運動は勢いを失い、あるいは、既存政治家たちに利用され、権力を失った。

 

トランプのポピュリズムはトランプから離反すべきだろう。そのポピュリズムの源は、文化的リベラリズム、経済停滞、不平等に対する怒りである。ポピュリズムは、後から見れば、不合理である。しかし、彼らが政府や大衆に関心を向けたのは、正当な嘆きであった。トランプによる制度や規範の破壊はニヒリズムに向かいつつある。

 

トランプを権力の座に就けた21世紀のポピュリズムが燃え尽きたのかどうか、まだわからない。