NYT Jan. 17, 2019
The Malign Incompetence of the British Ruling Class
By Pankaj Mishra
1947年、インド帝国から、混乱の中でイギリス人は離脱した。多くの者と同じく、小説家Paul Scottはショックを受けた。1世紀以上もインドを支配したイギリス人が、あまりにも急いで、無慈悲な形で撤退したことは、分断と無政府状態に責任がある、と主張した。
イギリスのEU離脱は、この国の支配者たちが道徳的な基準を放棄する、もう1つの例である。Brexit推進派は、帝国主義時代の強さや自給体制の幻想を振りまいた。そして繰り返し、自分たちの傲慢、愚昧、無能な姿を示した。
イギリスエリートたちのエゴイスティックで破壊的な行動に、現代の多くの人が驚いている。しかし、70年前に、インドから大混乱の脱出劇を示したとき、それはすでに明らかだった。
最後のインド総督、マウントバッテンLouis Mountbattenは、海軍では“Master of Disaster”と呼んで侮辱していたが、アジア・アフリカの帝国領土の支配者を供給する小さな上・中流階級に属していた。右派の歴史家Andrew Robertsは、彼を「無邪気で、知的な限界を持った、ペテン師」と呼んだ。イギリスの政治的惨事は、その私立教育システム、パブリック・スクールによって利益を受けた男たちによるものだ。
David Cameronは保守党内の強硬派を孤立させるために、この国の将来を国民投票の賭けに出した。機会主義者のBoris Johnsonは、首相の座を得るためにBrexitのバンドワゴンに飛び乗り、Winston Churchillを気取っていた。シルクハットの好きな、レトロのJacob Rees-Moggは、自分の資金管理会社がEUに事務所を移しているのに、熱烈なEU攻撃をおこなった。これがイギリスの「無邪気で、知的な限界を持った、ペテン師」である政治階級だ。
イギリスエリートの機関紙であるThe Economistでさえ、「専門知識よりも威嚇」によって政界を生きる「オックスフォードのお仲間」を嘆いた。Brexitは、イギリス的「仲間政治」が最終的にたどり着いたワーテルローである、と。
しかし、イギリスの歴史を論じる彼らには、大英帝国の破滅的離脱戦略である分離が、自分たちの国にやってきた、というのがより正しいだろう。それは、グロテスクなほどに皮肉な形で、1921年の分離、最初に植民地化したアイルランドに引いた国境だ。それこそが帝国の夢を追うBrexit推進派の最大の躓きの石となっている。さらにイギリスは、自身の分離に直面する。もしイギリスの求めるBrexitが実現すれば、スコットランドのナショナリストたちは再び独立を要求する。
Brexit推進派の悪意ある無能さは、1947年、イギリスがインドを離脱する間に正確に示されたものだ。衝撃的なほど、彼らは準備不足だった。イギリス政府は1948年6月にインドは独立する、と公表していたが、1947年6月の最初の週に、秩序、マウントバッテンが、1947年8月15日に限力の意向を行う、と主張した。7月に、訪れたこともない国の新しい国境線を引くため、法律家Cyril Radcliffeが指名された。彼の分離計画は、実質的に、数百万人への死刑宣告であったが、最高の叙勲を彼にもたらした。
Radcliffeの国境線がもたらした100万人におよぶ死者、誘拐され、強姦された、数え切れない多くの女性たち、世界最大の難民の移動は、Brexitのいかなる世紀末的シナリオをも超える、広大な大虐殺である。多くの帝国の犯罪は、最初、その地政学的なパワーに依拠し、その後は、文化的な威信に依拠して行われた。キプロスからマレーシア、パレスチナから南アフリカ、これらの多くの歴史的実例が、イギリス人エリートの好む、勇敢で、賢明で、慈悲深いイメージに反している。
無能なイギリスのエリートたちに、アジア・アフリカの数百・数千万人が苦しんだ。その分離がイギリス本国にやってきた。