PS Dec 4, 2018
The Ghost of Brexit Past
HAROLD JAMES
多くの欠陥はあるが、メイ首相がEUと交渉してきたBrexitが実現するだろう。
離脱過程を逆転させるのは、今や、考えられない。Brexitは革命であり、その過程はよく知られた歴史的パターンに従う。多くのフランス人が1789年以降に、多くのロシア人が1917年以降に、学んだことだ。革命は無視できないし、止めることもできない。
Brexit革命は、革命の伝統を持たない国で起きた。イギリスの法学者たちは、立憲的秩序が長期的に徐々に進化したことを誇りとする。ヨーロッパ大陸の歴史が多くの政治的な断絶を経てきたことと違う、と。しかし2016年6月の国民投票は、イギリスの例外主義を終わらせた。皮肉なことに、離脱投票で、とうとうイギリスは大陸ヨーロッパにキャッチアップしたのだ。
Brexitの歴史的先例を探す者もいる。1931年9月、UKの金本位制離脱。1992年9月、ERM(ヨーロッパ為替レートメカニズム)からの離脱。しかし、Brexitは通貨制度にとどまらない。何十年もヨーロッパの規制体制に参加した後、それを離脱する作業は、数え切れないほど多くのルールに関する長い、複雑な修正を必要とし、予想外の破滅的な失敗も生じる。
合理的な人はすぐに現状維持が望ましいと気づく。しかし、革命のロジックはそのような逆転を不可能にする。
Brexitを支持する議論の多くが主権の伝統的な考え方を前提している。ジョン王がローマ法王から分離し、ヘンリー8世がイギリス国教会を求めて闘った。教会上訴法を議会が承認した1533年4月、ヘンリーは法と宗教に関する最終的な権限を得た。ローマの支配を離れなければ、ヘンリーはチャールズの叔母、アラゴンのキャサリンと離婚できなかった。この法律に、主権に関する最初の明確な法的定義がある。
しかし、いつものことだが、革命は未完成であった。カトリックから国教への転換は、次の局面をもたらす。Luther, Zwingli, or Calvinなど、彼らの説教があったから革命が起きたのか? 歴史には異なる宗派が異なるアプローチを示し、しばしば突然の逆転があった。上訴法を起草したクロムウェルThomas Cromwellは、1540年、国王の命令で処刑された。イギリス国教会を築いたThomas Cranmer大司教も、1556年、火刑に処された。
旧時代への懐古が広まり、エドワードの死後、メアリーは復古を進めた。しかし反革命は革命以上に野蛮で、非文明的な手段を用いたため、イギリス国民の多くは、逆転することは間違いだ、と結論した。メアリーの死後、エリザベス1世がようやく妥協を制度化した。
イギリスにとって最善であるのは、それを忘れて先に進むことだった。メイもチューダー朝の教訓を学ぶべきだ。革命を始めた者たちは、革命によって食い尽くされる。