たまたま目にした「地球タクシー」は香港でした。ドライバーは、植民地時代と比べて、今の方が「不自由」だと感じています。香港を統治する者は、大した警備も付けていなかった。すぐ隣にいて話すことができるほど。しかし、今は違う。

 

返還された香港が、まるで以前の植民地支配を懐かしむような、不思議な話です。それは、犯罪組織が支配する九龍城砦のスラムが「自由」で、返還後、再開発されて、昔の面影は「観光資源」に変わったようなものかもしれません。しかし、香港住民が雨傘革命の後、何かを失ったと感じるとしたら、それはやはり「自由」なのでしょう。今や、香港は中国からの投資と政治支配による「新しい植民地」です。

 

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マルクス生誕200年を記念して、トリーアの町には中国政府から巨大な彫像が贈られた、とニュースは伝えています。

マルクス主義が政治思想や経済学を揺さぶった時代は、もう再現されないでしょう。しかし、なぜ歴史に大きな影響を及ぼしたのか、その政治経済的条件を理解できる時期が来たわけです。

 

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移民・難民たちが人為的な境界線を越えて移住・避難できることは、領土や境界、私有財産に縛られた私たちの側の問題を先鋭に示す形で神経症的な論争を喚起します。すべてはそもそも私たちの社会が生み出した悪徳や悪弊なのだ、と思います。

 

もし誰もが自由に土地を耕し、自由に職を得て、自由に学び、自由に自分の意見を表明できるなら、この世界に移民や難民などいるでしょうか? 彼や彼女は、どこにいても人として当たり前のことを求め、働いて暮らすことを認められると思います。

 

難民の統合化について、The Economistが紹介します。ウガンダの南西部の村は、スーダンからの難民を受け入れ、彼らに土地を貸し与えて、耕作することを許しました。地元の長老は、それが中央政府から見放された彼らの選択だった、と語ります。新しい学校や医院ができ、道路ができることを願います。自分たちの子どもにも職場が得られるだろう、と。

 

もし社会の最上層の人々も、最下層の人々と、その衣食住に関して、大きな違いがないのであれば、例えば、8倍以内の差に制限されているなら、もっと自由に職場や社会的地位を変わっていけると思います。

 

他のヨーロッパ諸国に比べて、ドイツでは、難民の統合化が成功しています。それはドイツが労働市場を改革して、移民たち、低賃金労働者の入りやすい建設分野を解放しているからだ、と記事は指摘します。フランスのような移民が集中する郊外都市はなく、アメリカのように豊かな白人が都市中心部から逃げ出す再分離も起きていません。

 

Paul Collierらは、豊かな諸国がもっと難民を受け入れ、雇用するべきだ、と考えます。犯罪や異文化を恐れて、豊かな国がドアを閉ざすなら、十分な投資を得られない土地では、Paul Romerが唱えるチャーター・シティを建設するかもしれません。

 

自由で、平等な社会を築く。それをマルクス主義と呼ぶ時代もあったわけです。これからも、人々の理想は形を変えながら、政治的、社会的な格差や境界線、隔離や分断を乗り越える要求、連帯の運動として、世界中に現れます。