妊活ふりかえりー治療編 | 冷静と情緒不安定のあいだ

冷静と情緒不安定のあいだ

2013年生まれの男の子のママ。40歳、フィリピン・マニラで二人目治療はじめました。


妊活ふりかえりシリーズ、
今回は治療についてまとめておきます。

結局、私は体外受精には挑戦しませんでした。
また海外在住なので、日本での治療についての経験は、
かなり限られています。

なので、情報としてはかなり中途半端だと思うのですが、
あらかじめご了解頂ければ幸いです。

***

まずは、現状を正しく把握するということに重きをおきました。

とりあえず方向性を決める、というのが大好きな私です(笑)
気持ちを入れすぎると判断がぶれるので、理性を保つためにも、
仕事のように情報収集、仮説検証をすることを心がけました。

初診は(意図的に)KLCだったのですが、ここで指摘されたのが、
高いFSH→卵巣年齢40歳(当時35歳)と卵管閉塞、狭窄でした。

その後、別のクリニック(新橋夢クリ、杉山丸の内)も受診、
卵管閉塞についての確定診断、AMH検査、子宮鏡検査といった
一通りのスクリーニング検査を受けました。結果、

・左の卵管は閉塞、右は辛うじて通っている
・卵巣機能は年齢相応
・それ以外は、異常所見なし

ということでした。

3つのクリニックをはしごしたのは、
セカンドオピニオンを得る、いうのが主な目的でしたが、
日本で治療を受けるということも当時は考えていたので、
自分に合ったクリニック探しの第一歩でもありました。

現状をふまえた結果、夫の希望もあり、卵管開通のオペを受け、
当面は自然妊娠を目指すことに。

年齢とキャリアのこともあり、期間6ヶ月と決めて、
タイミングに取組みました。事前に期限を決めて取組む方が
気持ち的に楽だったので、あえてそうしました。
(体外に進んでも、期限設定することは決めていました)

ただ、夫側の問題で夫婦生活をちゃんと営めなかったので、
途中からAIHも併用しました。

AIHについては、現居住国のクリニックで受けていましたが、
あまりにも適当(血液検査なし、AIH前のエコーなし)なので、
正直、成功する気がしませんでした。
タイミングが取れないことへの気休め程度だったと思います。

結果、4回トライし、全て撃沈。
基本的には、自然周期(排卵誘発なし)、4回目のときだけ、
AIH後に膣剤によるホルモン補充をしました。
体外受精に進むまで、排卵誘発はしないと決めていました。

このままAIHを続けても結果がでなさそう、
かといって、仕事の関係ですぐに体外にも挑戦できない、
(国境を越えての通院、治療が必要なので)
という状況の中で、私たちが次にチャレンジしたのは、
夫に薬を飲んでもらい、夫婦生活を営むということでした。

結局、これが功を奏しました。
夫の協力(別記事にする予定です)にはとても感謝しています。

***

治療から少し話がそれますが、
私たちは、2年間の日米遠距離だったので、物理的に
セックスレスでした。

たまに会えるときも、私は勉強で心身を消耗し切っており、
さらに時差ぼけもあり、セックスする気力も体力もなし。
そうこうしてるうちに、夫婦生活ができなくなっちゃいました。

自然妊娠を目指すために、仕事をあきらめ彼のもとに引越し、
卵管開通のオペまでしたので、この状況には私も参ってしまい、
かなり荒れましたね…。

セックスできないのに、子どもなんてできるわけないじゃん!
私がどれだけのものを犠牲にしたと思ってるの!あなたなんて、
何も失ってないじゃない、そんなのフェアじゃない!

と彼のことをきつく責めたこともありました。
鬼嫁ですね…。あの頃は、本当に気持ちがすさんでいました。

この状況は、仕事を始めたことでかなり解消されました。

妊活のために仕事をやめる、やめない、というのは、
皆さんそれぞれご意見、思うところがあると思います。

私の場合は、仕事を再開してよかったなと思っています。

仕事をしていなくても、妊娠したかもしれませんが、
あの精神状態が続くことは、夫婦関係にも影響したはず。
それじゃあ本末転倒ですもんね。

次回は、食事・サプリについてまとめます。

最後までお付き合いくださって、ありがとうございました。