お盆のお話③ 幽霊
前回からのつづき
ムディター2010年 夏号より
(Muditaとは梵語で「他人の幸せを喜ぶ」の意)
青山 俊董さん(愛知専門尼僧堂堂長)の記事です。(3回の最後)
前後裁断して今日只今に姿勢を正す
では、その今をどう生きたらよいか。幽霊に三つ
の特徴があるという。
一つは、おどろ髪をうしろへ長くひいている。
一つは、両手を前へ出して垂らしている。
一つは足がない。
一つめのおどろ髪をうしろへ長くひいているとい
うのは、済んでしまって、どうにもならないことを、くよくよといつまでもいつまでもひきずって、
心が過去にばかりとんでしまっている姿をいう。反省するというのと、心の荷物としてひきずるというのは違う。反省はせねばならない。たった一度み冷生。を限りなく軌道修正して生きてゆくために。
しかしどうにもならないことを、自分においても他人の上においても、いつまでもひきずり続けることは、マイナスにこそなれ、生きる力とはならない。
二つめの両手が前へ出ているというのは、来るか来ないかわからない未来を、取り越し苦労して”ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう”と心が前のめりになっている姿。
三つめの足がないというのは、今ここに両足をついて立っていながらも、心が過去へ、未来へととび、または今ここにあっても、心がどこかへとんでしまい、今ここという時間を限りなく取りにがし続けている。心ここにあらずで、今ここの仕事とも、人とも出会っていない。そういう姿を足がないという姿であらわしているのだという。
過去を背負いこまず、未来をだきこまず、前後裁断して今日只今に姿勢を正せ、今日只今がわが心にかなうことであろうと、かなわぬことであろうと、迫わず、逃げず、ぐずらず、そこを正念場として、姿勢を正して取り組め、と幽霊は語りかける。
過ぎ去れるを追7ことなかれ (中部経典)
未だ来たらざるを想うことなかれ
過去、そはすでに捨てられたり
未来、そは未だ来たらざるなり 今日まさになすべきことを熱心になせ
誰か明日、死のあることを知らんや
夏の夜ばなしに登場する幽霊の姿にたとえての人のあるべきようは、すでに二千五百年前に、釈尊が説かれておられるところのものであったと、思いを新たにしたことであった。
以上
青山 俊董先生のありがたいお話でした。
ブログ掲載時に誤って、青由 俊董先生と記載いたしました。
ここに謹んでお詫び申し上げます。
久野
ムディター2010年 夏号より
(Muditaとは梵語で「他人の幸せを喜ぶ」の意)
青山 俊董さん(愛知専門尼僧堂堂長)の記事です。(3回の最後)
前後裁断して今日只今に姿勢を正す
では、その今をどう生きたらよいか。幽霊に三つ
の特徴があるという。
一つは、おどろ髪をうしろへ長くひいている。
一つは、両手を前へ出して垂らしている。
一つは足がない。
一つめのおどろ髪をうしろへ長くひいているとい
うのは、済んでしまって、どうにもならないことを、くよくよといつまでもいつまでもひきずって、
心が過去にばかりとんでしまっている姿をいう。反省するというのと、心の荷物としてひきずるというのは違う。反省はせねばならない。たった一度み冷生。を限りなく軌道修正して生きてゆくために。
しかしどうにもならないことを、自分においても他人の上においても、いつまでもひきずり続けることは、マイナスにこそなれ、生きる力とはならない。
二つめの両手が前へ出ているというのは、来るか来ないかわからない未来を、取り越し苦労して”ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう”と心が前のめりになっている姿。
三つめの足がないというのは、今ここに両足をついて立っていながらも、心が過去へ、未来へととび、または今ここにあっても、心がどこかへとんでしまい、今ここという時間を限りなく取りにがし続けている。心ここにあらずで、今ここの仕事とも、人とも出会っていない。そういう姿を足がないという姿であらわしているのだという。
過去を背負いこまず、未来をだきこまず、前後裁断して今日只今に姿勢を正せ、今日只今がわが心にかなうことであろうと、かなわぬことであろうと、迫わず、逃げず、ぐずらず、そこを正念場として、姿勢を正して取り組め、と幽霊は語りかける。
過ぎ去れるを追7ことなかれ (中部経典)
未だ来たらざるを想うことなかれ
過去、そはすでに捨てられたり
未来、そは未だ来たらざるなり 今日まさになすべきことを熱心になせ
誰か明日、死のあることを知らんや
夏の夜ばなしに登場する幽霊の姿にたとえての人のあるべきようは、すでに二千五百年前に、釈尊が説かれておられるところのものであったと、思いを新たにしたことであった。
以上
青山 俊董先生のありがたいお話でした。
ブログ掲載時に誤って、青由 俊董先生と記載いたしました。
ここに謹んでお詫び申し上げます。
久野
お盆のお話② 未来は変えられる
前回からのつづき
ムディター2010年 夏号より
(Muditaとは梵語で「他人の幸せを喜ぶ」の意)
青山 俊董さん(愛知専門尼僧堂堂長)の記事です。(3回に分けて掲載します)
私の今日只今の生き方を問う
釈尊はこの世には、
闇から闇へ行く人、
闇から光へ行く人、
光から闇へ行く人、
光から光へ行く人、
の四種類の人があると説かれた。
人生の幸、不幸を光と闇にたとえることができよう。
もとの闇が、たとえば二か三程度のものを、いつまでもいつまでもひきずることで、百にも二百にもふくらませてしまう人がいる。闇から闇への類の人といえよう。
マイナスとしか思えないことをプラスに切り替え、跳躍台として、より高く、より深く生き得る人もある。闇から光へと歩める人であり、先の両親を亡くすることで、一人前の大人になれたと語った運転手さんは、まさにこの類の人といえよう。
仏教の深層心理学ともいえる「船影氷」の泰斗であられた太田久紀先生は、この釈尊の[四種類の人』のお示しから、次の二つのことを学んでおきたいと語られた。
一つめは、人生、変えてゆくことができる。
二つめは、変えてゆく主人公は私であり、その私の今日只今をどう生きるかにかかる。
一つめ、「人生、変えてゆくことができる」。どんなにつらいことがあっても、授かりとして動かしようがないと思うことも、あきらめない。変えてゆくことができるんだというのである。
ただし、闇から光へと変えるはよいが、光から闇へとは変えたくない。しかしどちらの可能性もあり、それはいつに私の今日只今の生き方にかかるわけであり、それがIつめの学びということになる。
二つめの学びも更に二つにわかれて、一つは変えてゆく主人公は他ならない私自身でしかないということ。とかくわれわれは、親子、兄弟、夫婦、どこかに甘えがあり、替わってやることができるような、替わってもらうことができるような、助けてもらうことができるような思いがある。
しかし、人生は絶対に替わることも助けることもできない。私の人生は私自身が、自分の足で、自分の額に汗して、どんなことも受けて立ち、また切り拓いてゆかねばならないのである。
しかもその私の「今日只今をどう生きるか」にかかっているというのが、二つめの学びのもう一方である。
生きるということは、昨日でも明日でもない。「今日只今」という一瞬の時間に乗せられて、私の命の営みがあるのである。
過去を生かすも殺すも今日只今の生き方にかかっている。
未来を開くも閉じるも今日只今の生き方にかかっている。
マイナスと思える過去を肥料に切りかえて、花咲かせるのも、
プラスと思える過去を逆にマイナスにしてしまうのも、
今日只今の生き方にかかり、とても開きそうもない明日の扉を開くのも、
反対に大きく聞かれた扉を閉めてしまうのも、
私自身の今日只今の生き方にかかっているというのである。
つづく
ムディター2010年 夏号より
(Muditaとは梵語で「他人の幸せを喜ぶ」の意)
青山 俊董さん(愛知専門尼僧堂堂長)の記事です。(3回に分けて掲載します)
私の今日只今の生き方を問う
釈尊はこの世には、
闇から闇へ行く人、
闇から光へ行く人、
光から闇へ行く人、
光から光へ行く人、
の四種類の人があると説かれた。
人生の幸、不幸を光と闇にたとえることができよう。
もとの闇が、たとえば二か三程度のものを、いつまでもいつまでもひきずることで、百にも二百にもふくらませてしまう人がいる。闇から闇への類の人といえよう。
マイナスとしか思えないことをプラスに切り替え、跳躍台として、より高く、より深く生き得る人もある。闇から光へと歩める人であり、先の両親を亡くすることで、一人前の大人になれたと語った運転手さんは、まさにこの類の人といえよう。
仏教の深層心理学ともいえる「船影氷」の泰斗であられた太田久紀先生は、この釈尊の[四種類の人』のお示しから、次の二つのことを学んでおきたいと語られた。
一つめは、人生、変えてゆくことができる。
二つめは、変えてゆく主人公は私であり、その私の今日只今をどう生きるかにかかる。
一つめ、「人生、変えてゆくことができる」。どんなにつらいことがあっても、授かりとして動かしようがないと思うことも、あきらめない。変えてゆくことができるんだというのである。
ただし、闇から光へと変えるはよいが、光から闇へとは変えたくない。しかしどちらの可能性もあり、それはいつに私の今日只今の生き方にかかるわけであり、それがIつめの学びということになる。
二つめの学びも更に二つにわかれて、一つは変えてゆく主人公は他ならない私自身でしかないということ。とかくわれわれは、親子、兄弟、夫婦、どこかに甘えがあり、替わってやることができるような、替わってもらうことができるような、助けてもらうことができるような思いがある。
しかし、人生は絶対に替わることも助けることもできない。私の人生は私自身が、自分の足で、自分の額に汗して、どんなことも受けて立ち、また切り拓いてゆかねばならないのである。
しかもその私の「今日只今をどう生きるか」にかかっているというのが、二つめの学びのもう一方である。
生きるということは、昨日でも明日でもない。「今日只今」という一瞬の時間に乗せられて、私の命の営みがあるのである。
過去を生かすも殺すも今日只今の生き方にかかっている。
未来を開くも閉じるも今日只今の生き方にかかっている。
マイナスと思える過去を肥料に切りかえて、花咲かせるのも、
プラスと思える過去を逆にマイナスにしてしまうのも、
今日只今の生き方にかかり、とても開きそうもない明日の扉を開くのも、
反対に大きく聞かれた扉を閉めてしまうのも、
私自身の今日只今の生き方にかかっているというのである。
つづく
お盆のお話① 思わず涙しました。
禅の勉強をさせていただいている東京禅センターにでいただいた仏教情報誌に良いお話がありましたので、このお盆の機会にぜひご紹介させて下さい。
ムディター2010年 夏号より
(Muditaとは梵語で「他人の幸せを喜ぶ」の意)
青山 俊董さん(愛知専門尼僧堂堂長)の記事です。(3回に分けて掲載します)
今日、只今を、どう生きるか
今日まさになすべきことを熱心になせ
すべてお蔭と受けて立つ
京都駅でタクシーを拾った。運転手さんが[御出家さんですね。お話をさせていただいてもよろしゅうございますか」と語りかけてきたので「どうぞ」と答えた。
「私は高校三年の三学期に両親を一緒に亡くしました。町会で河豚を食べに行って、その毒に当たって一晩で逝ってしまいました。
その朝はお弁当をいただいてゆく日で、いつもなら母が早く起きてお弁当をつくってドさるはずなのに、何時になっても音一つしない。おかしいなあと思って、そおっと両親の部屋の戸を開けてみたら、さんざん苦しんだあとをとどめて二人とも息が絶えていました。
びっくり仰大して電話に走り、親戚の者が駆けつけて葬式は出してくれました。
借金はありませんでしたが、一銭の蓄えもありませんでした。
私には年がはなれて五歳の妹がおりました。
父が出征しておりましたから。高校三年の私と五歳の子供からは家賃がとりたてられないであろうというので、家圭が追い出しました。
私は最小限度の荷物を持ち、妹を連れ、安い六畳のひと部屋を借り、その家を出ました。さいわい就職は決まっていたので、私は夢中で働きました。両親に代わって妹を育てなければならないと、朝は新聞配達、昼は勤め、夜はアルバイトと目茶苦茶に働いて、二十三、四歳のときには安いアパートを買うほどのお金はつくりました。
しかしその間、私は働くことしか考えていませんでしたので、洗濯も掃除も食事の準備も何もしませんでした。五歳の妹がしたことになります。
NHKで「おしん」というドラマがありましたが、私の妹だって同じようなことを致しました。
考えてみますに、もし両親が元気でいてくれたら、私なんか今ごろ暴走族かつっぱり族か、ろくな人間になっていなかったと思います。また両親が死んでも金を残してくれたら今の私はなかったでしょう。
幼い妹がいなかったら淋しくてぐれていたでしょう。
両親はいない。金はない。幼い妹がいる。私は本気にならざるを得ませんでした。
私を本気にさせてくれ、一人前の大人にしてくれ、男にしてくれたのは、両親が一緒に死んでくれたお蔭、金を残してくれなかったお蔭、家主が追い出してくれたお蔭、幼い妹を残してくれたお蔭と感謝しております。
毎日、感謝の線香を両親の位牌の前に供えています。何もいうことはありません。しかし一つだけ頼んでいることがあるんです。妹がよいご縁をいただいて花嫁衣装を着たときだけは泣けました。両親に見せたかったと。それで私は、自分の子供が一人前になるまでは命を下さいと頼んでいるのです。」
わずか三十分ほどの間のこの話を、私はどんな方の話よりもすばらしい話として心から礼を述べ、車を降りたことであった。
つづく
ムディター2010年 夏号より
(Muditaとは梵語で「他人の幸せを喜ぶ」の意)
青山 俊董さん(愛知専門尼僧堂堂長)の記事です。(3回に分けて掲載します)
今日、只今を、どう生きるか
今日まさになすべきことを熱心になせ
すべてお蔭と受けて立つ
京都駅でタクシーを拾った。運転手さんが[御出家さんですね。お話をさせていただいてもよろしゅうございますか」と語りかけてきたので「どうぞ」と答えた。
「私は高校三年の三学期に両親を一緒に亡くしました。町会で河豚を食べに行って、その毒に当たって一晩で逝ってしまいました。
その朝はお弁当をいただいてゆく日で、いつもなら母が早く起きてお弁当をつくってドさるはずなのに、何時になっても音一つしない。おかしいなあと思って、そおっと両親の部屋の戸を開けてみたら、さんざん苦しんだあとをとどめて二人とも息が絶えていました。
びっくり仰大して電話に走り、親戚の者が駆けつけて葬式は出してくれました。
借金はありませんでしたが、一銭の蓄えもありませんでした。
私には年がはなれて五歳の妹がおりました。
父が出征しておりましたから。高校三年の私と五歳の子供からは家賃がとりたてられないであろうというので、家圭が追い出しました。
私は最小限度の荷物を持ち、妹を連れ、安い六畳のひと部屋を借り、その家を出ました。さいわい就職は決まっていたので、私は夢中で働きました。両親に代わって妹を育てなければならないと、朝は新聞配達、昼は勤め、夜はアルバイトと目茶苦茶に働いて、二十三、四歳のときには安いアパートを買うほどのお金はつくりました。
しかしその間、私は働くことしか考えていませんでしたので、洗濯も掃除も食事の準備も何もしませんでした。五歳の妹がしたことになります。
NHKで「おしん」というドラマがありましたが、私の妹だって同じようなことを致しました。
考えてみますに、もし両親が元気でいてくれたら、私なんか今ごろ暴走族かつっぱり族か、ろくな人間になっていなかったと思います。また両親が死んでも金を残してくれたら今の私はなかったでしょう。
幼い妹がいなかったら淋しくてぐれていたでしょう。
両親はいない。金はない。幼い妹がいる。私は本気にならざるを得ませんでした。
私を本気にさせてくれ、一人前の大人にしてくれ、男にしてくれたのは、両親が一緒に死んでくれたお蔭、金を残してくれなかったお蔭、家主が追い出してくれたお蔭、幼い妹を残してくれたお蔭と感謝しております。
毎日、感謝の線香を両親の位牌の前に供えています。何もいうことはありません。しかし一つだけ頼んでいることがあるんです。妹がよいご縁をいただいて花嫁衣装を着たときだけは泣けました。両親に見せたかったと。それで私は、自分の子供が一人前になるまでは命を下さいと頼んでいるのです。」
わずか三十分ほどの間のこの話を、私はどんな方の話よりもすばらしい話として心から礼を述べ、車を降りたことであった。
つづく