お盆のお話① 思わず涙しました。 | 久野真平の歩き方

お盆のお話① 思わず涙しました。

禅の勉強をさせていただいている東京禅センターにでいただいた仏教情報誌に良いお話がありましたので、このお盆の機会にぜひご紹介させて下さい。


ムディター2010年 夏号より
(Muditaとは梵語で「他人の幸せを喜ぶ」の意)
青山 俊董さん(愛知専門尼僧堂堂長)の記事です。(3回に分けて掲載します)


今日、只今を、どう生きるか

今日まさになすべきことを熱心になせ

すべてお蔭と受けて立つ

京都駅でタクシーを拾った。運転手さんが[御出家さんですね。お話をさせていただいてもよろしゅうございますか」と語りかけてきたので「どうぞ」と答えた。




「私は高校三年の三学期に両親を一緒に亡くしました。町会で河豚を食べに行って、その毒に当たって一晩で逝ってしまいました。


その朝はお弁当をいただいてゆく日で、いつもなら母が早く起きてお弁当をつくってドさるはずなのに、何時になっても音一つしない。おかしいなあと思って、そおっと両親の部屋の戸を開けてみたら、さんざん苦しんだあとをとどめて二人とも息が絶えていました。



びっくり仰大して電話に走り、親戚の者が駆けつけて葬式は出してくれました。
借金はありませんでしたが、一銭の蓄えもありませんでした。
私には年がはなれて五歳の妹がおりました。
父が出征しておりましたから。高校三年の私と五歳の子供からは家賃がとりたてられないであろうというので、家圭が追い出しました。



私は最小限度の荷物を持ち、妹を連れ、安い六畳のひと部屋を借り、その家を出ました。さいわい就職は決まっていたので、私は夢中で働きました。両親に代わって妹を育てなければならないと、朝は新聞配達、昼は勤め、夜はアルバイトと目茶苦茶に働いて、二十三、四歳のときには安いアパートを買うほどのお金はつくりました。


しかしその間、私は働くことしか考えていませんでしたので、洗濯も掃除も食事の準備も何もしませんでした。五歳の妹がしたことになります。
NHKで「おしん」というドラマがありましたが、私の妹だって同じようなことを致しました。
 



考えてみますに、もし両親が元気でいてくれたら、私なんか今ごろ暴走族かつっぱり族か、ろくな人間になっていなかったと思います。また両親が死んでも金を残してくれたら今の私はなかったでしょう。
幼い妹がいなかったら淋しくてぐれていたでしょう。
両親はいない。金はない。幼い妹がいる。私は本気にならざるを得ませんでした。
私を本気にさせてくれ、一人前の大人にしてくれ、男にしてくれたのは、両親が一緒に死んでくれたお蔭、金を残してくれなかったお蔭、家主が追い出してくれたお蔭、幼い妹を残してくれたお蔭と感謝しております。




毎日、感謝の線香を両親の位牌の前に供えています。何もいうことはありません。しかし一つだけ頼んでいることがあるんです。妹がよいご縁をいただいて花嫁衣装を着たときだけは泣けました。両親に見せたかったと。それで私は、自分の子供が一人前になるまでは命を下さいと頼んでいるのです。」





わずか三十分ほどの間のこの話を、私はどんな方の話よりもすばらしい話として心から礼を述べ、車を降りたことであった。


つづく